地球温暖化など複雑化する社会問題に解を導く手法として注目されているのが、スーパーコンピュータ上の「計算」である。現実を模した“双子”の世界「デジタルツイン」を再現することで未来を予測できる。もともと日本は、スパコン上の「物理シミュレーション」に秀でているが、近年の好例が、新型コロナの流行期にスパコン「富岳」で行われた飛沫拡散の感染シミュレーションだ。ウイルスを含む飛沫の正確な再現と視覚化、ウレタンと不織布のマスクの防護力の違い、交通機関や学校の安全性など、1000件以上のデジタルツインでシミュレーションが行われた。ワクチンもない時期に、何がリスクかの科学的事実を伝え、感染抑止への国民の協力を得られた。
今や多くの分野がスパコンで画期的な成果をあげている。気象の専門家は、富岳上のデジタルツインで線状降水帯を引き起こす積乱雲の発生時間や場所を予測し、医療では心臓のデジタルツイン上で症例を再現し、さらに様々な形状の人工弁を埋め込んで治療を再現する、などである。
これに対し、「人工知能(AI)」では、最先端技術では米国や中国などに後れをとっている。昨今のAIでは人間の脳の動きを真似た深層学習が主流で、大量のデータでニューラルネットワーク(人工的神経網)の学習を行い、画像や音声や文字の認識を行う。深層学習は高い計算パワーが必要だが、スパコン技術の転用により可能となった。
最近では「ステーブル・ディフュージョン」のように、学習した神経網をいわば“逆回転”させることで実在しない人や動物を描いたり、家や車をデザインする、いわば人間の創造性を模倣するAIが開発されている。これらはスパコン級の計算パワーを必要とするが、デジタルツインとつながり、画期的な成果が期待される。例えば、自動車のデザインをAIが多種生成し、その上でデジタルツインに変換する。加えて物理シミュレーションで空力的にも有利なデザインを選び出す、などだ。
「計算」こそ力の源泉
では、なぜこうしたAIモデルが日本発で出ないのかといえば、「計算パワー」のスパコンと使いこなす人材が不足しているからである。何十億という画像や文章を集めるデータ処理や、その学習には膨大な計算パワーが必要になる。現在でも、そのようなAIと物理シミュレーションが複合される用途、例えば自動運転のAIを、実際の道路でなく、あらゆる道路環境を物理的に再現できるデジタルツインで学習させるが、そのためにはトップクラスのスパコンや多くのソフト、人材が必要で、その整備は非常に遅れている。
この点で突出しているのは、アメリカだ。昨年、一部の計算速度のランキングでは富岳に優ったオークリッジ国立研究所の「フロンティア」は、物理シミュレーション能力では富岳と同等だが、先行したAIの学習能力では、富岳より優れる。また、米国では民間も、トップクラスのスパコンの整備や活用が盛んである。2010年代以降の深層学習のブレイクスルーに着目したGAFAMなど巨大IT企業は、数百億円という国家並みの予算を自らのスパコン開発や整備に投じてきた。検索エンジンやSNSで集めたビッグデータを持つ彼らが、世界トップクラスの計算パワーを手にすれば、世界を制することができると見たのである。
我々スパコンの研究者は「このままでは計算力の不足・使いこなしの力の不足で、世界に負ける」と訴えてきたが、なかなか理解が得られずにきた。特に、我が国のAIは、早くからスパコンを使いこなしていた物理シミュレーションの諸分野とは異なり、むしろ少ない計算パワーやデータを賢く使って処理するモデルやアルゴリズム・ソフトが貴ばれるアカデミズムが支配的だった。近年のGAFAMの画期的な成果の数々から、理解は進んでいるが、今や彼らは遠く先に行っている状況にある。
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