もはや高所得国ではない。「もはや戦後ではない」という経済白書の有名な一節は1956年度のことで、日本は1968年に世界第2位の経済大国になったが、42年後の2010年に第3位となった。バブル経済のピークである1990年からの30年間の平均賃金の伸び率をOECD全体と比べると、韓国は4割、米国は1割以上上回っているが、日本は2割も下回っている。2020年の平均は559万円だが、日本は約447万円で加盟国中22位まで下落した。昨今の円安や物価高で日本は「もはや高所得国ではない」と痛感する機会が増えている。
「失われた30年」ではなく、「失った30年」。なぜそうなったのか。日本は多くの課題を抱える一方、毎年策定される政府の成長戦略に処方箋は出尽くしているが、既得権を超えて実行・実現への道筋が描けず、過去の成功体験と世界第3位の経済大国による慢心もあって、結局、変われなかった。これらは政治・行政・企業の不作為による「失った30年」であり、民主導で自立的に成長できなかった原因こそ経営者にあるのではないか。
経営者はもっと賃上げすべきという意見に基本的に賛成するが、これには企業の持続的成長、そして全ての生活者が主役となり共創する必要がある。例えば、ある会社員を視ると、朝は子どもを小学校に送り出す親、職場では課長、退勤後にはエコな商品を購入する消費者であり、自治会に参加する地域住民、そして選挙では必ず投票する有権者など実に多面的な役割・立場があり、各々のパーパスを持った生活者である。この生活者と勤める企業の掲げるパーパスが重なり合えば、最大のパッションと付加価値が生まれ、賃金増も期待できる。こうした個人が集まって構成する企業・団体等の組織も広義の生活者と捉えて、全ての生活者による選択と行動で、新しい時代に求められる多様な価値(豊かさ、ハピネス等)を創造することが可能になる(なお、この生活者の概念を適切に表す英訳語はない。経済同友会では「SEIKATSUSHA」として海外にも訴えていきたい)。
「利益がなければ持続できない」
また、日本再興に向けて成長と分配の好循環が求められる。もはや欧米キャッチアップ型では世界に伍して行けない。日本食やアニメなどの伝統・文化と、三方良しや自利利他、武士道などの精神に根差した日本らしいイノベーションで成長を目指すべきだ。そのために経営者は、挑戦を応援し、失敗を許容し、成功を讃える経営を実践する。生活者一人ひとりに挑戦を促し、挑戦の総量を増やす。雇用の7割を占める中小企業の強化も必要である。具体的には、「中小企業競争力強化会議(仮称)」を政府に新設、国際的に活躍するドイツの中小企業の研究、リスキリングと人材流動化の強化、改革を阻む要因の打破などである。
日本らしいイノベーションによる成長の果実(所得)をどう分配するのか。政府部門は、税制や社会保障制度で所得再分配を行っているが、これは弱者を保護して社会の安心・安定を図るために不可欠である。一方、民間部門は、経営資源をよりダイナミックに最適な分配ができる。この分配は「人への投資」そのものであり、コア事業や将来の収益事業に人材を振り向けること、適材を適所に再配置すること、人材を育成することなどである。賃上げに加え、優秀な人材、高度専門職、エッセンシャルワーカー等を魅力的な処遇で動機づけることは、経営者の重要な役割である。なお、11月の厚生労働省による2022年「賃金引上げ等の実態に関する調査」では、「平均賃金を引き上げた・引き上げる」企業は85.7%(前年80.7%)、改定率は1.9%(同1.6%)で、足下で共に改善している。
すでに真の経営者の時代が到来している。成長と分配の好循環に向けて、成長の牽引役は民間であり、分配も一部は民間が担い得る。したがって、企業・経営者の責任は重い。経営者の役割は顧客と市場の創造で、経営に求められるのは、前述のイノベーションで成長するための実践と次世代の真のリーダーの育成である。
米国の小説家レイモンド・チャンドラーは「タフでなければ生きて行けない、優しくなれなければ生きている資格がない」という名言を残した。企業は「利益がなければ持続して行けない、ハピネスを生まなければ持続する価値がない」。経営者の同志には、「賃上げという投資を恐れるな!」と呼びかけたい。
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