2023年3月9日、早朝。家から遠く、微かに鳴いている鶯の声で目が覚めました。まだ、ホケキョと鳴けてもいないけれど、幼鳥が発する澄んだ鳴き声は、与えられた生を素直に受け入れているエネルギーに満ちています。昨年より1週間早い、幸福感に満ちた春の寿ぎでした。
こんな日には、今は亡き、あの人の声を思い出します。
「ねぇ、そおっとこっち来てごらん。鶯って最初は上手く鳴けないんだね。(姿は見えないけど)そこの木にとまってるみたい」。手招きしながら、呼びかけてくれた声の主は映画俳優高倉健、本名小田剛一。毎年訪れる鶯の初鳴きを、几帳面にカレンダーに書き入れていた人でした。自宅で寛いでいる時には、アウトドアの定番グッズ、オーデュボンのバードコール(鳥笛)を庭で鳴らします。しばらく耳を澄ませていると、四十雀(しじゅうから)やメジロ、イソヒヨドリなどの野鳥が、競い合うように鳴き始めるのです。「どう?!」と、振り返り満面の笑み。たくさんの思い出を、そして笑顔を遺して、2014年11月10日、寿命を全うしました。享年83。
私は、仕事で赴いていた香港で高倉と出逢ったことをきっかけに、17年の歳月に寄り添い、2013年に養女として籍を入れ、最期を看取りました。
高倉がこの世を離れ、9年目。『何を見ても何かを思いだす』は、E・ヘミングウェイの本のタイトルですが、私は今でも、何を見ても何を聞いても、何を食べても……、高倉の何かを思い出しながら時空を行き逢っています。
3月末に出版された『高倉健、最後の季節(とき)。』は、高倉の病気発症から、亡くなるまでの11ケ月を綴りました。2014年正月、普段から食事を残さない人が、食欲不振となり、体調に変化が現れました。4月7日、病院に検査入院し、その後、悪性リンパ腫と診断されたのです。「そうですか……。人はいずれ死ぬんだけど、まだ、死ぬわけにいかないんです。仕事があるんです。じゃあ、お願いします」と高倉は言い、予定されていた仕事への責任感からすぐに治療を受け入れ、1週間の入院予定は変更となり、長期に及びました。
実は、亡くなる2年ほど前、「僕のこと、書き残してね」と、高倉から宿題を出されていた私ですが、独りで看病を続けていた体は、高倉他界後、何の余力も残っていませんでした。先ず本来の体調を取り戻しながら、遺された資料と向き合い、2019年晩秋に、前作『高倉健、その愛。』を紡ぎました。そのとき、編集者から闘病の詳細に触れてみてはどうかと言われましたが、喪失感の記憶が生々しく、文字にできる冷静さがありませんでした。
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source : 文藝春秋 2023年5月号