昨年のFIFAワールドカップ予戦リーグ、日本対スペイン戦直前にスポーツジャーナリストの二宮清純さんからメールが届いた。「勝てば森保一監督は世界の名将ですね」。思わず頷いた。愛媛の同郷である二宮さんは広島大学の特別招聘教授で毎年、新入生に講義をお願いしている。
ご存じのように、ドイツに続いてスペインを撃破。森保采配が一躍注目された。「サラリーマン監督のようだ」と揶揄された、試合中にメモを取るおなじみの仕草や、指笛を鳴らすスタイルも、一戦ごとに貫禄を増し、今や世界のマスコミから認められている。もとより日本中に彼を知らない人はいないだろう。
それとは別に私には個人的な感慨があった。私は格別なサッカーファンではないが、この名将と若い選手時代に出会い、約35年に及ぶお付き合いをいただいている。
1987年、森保一青年は長崎日大高校を卒業して、マツダの関係会社に勤務しながら、マツダサッカークラブ(サンフレッチェ広島の前身)に加入した。数ヶ月過ぎた頃、練習中に膝を傷め、広島大学病院整形外科の私の外来にやってきた。練習帰りの、短パンにサンダル履きという格好だったと思う。それが森保さんとの初めての出会いだったが、診察室でのやり取りは完全に忘れていた。
ところが指導者となった森保さんを、講師としてお招きした講演会で、彼が当時の思い出を語り始めた。
「若いころに一度、越智先生に叱られたんです」
診察台に上がった途端、脚から泥がバラバラと落ちて看護師さんがシーツを交換する羽目になった。「救急車で来るならともかく、歩けるほどなら泥を落としてくるのが常識」。当時34歳だった私は18歳の森保さんを、学生を諭すように叱ったそうである。そのころヨーロッパ留学から戻り、最先端の膝治療をやっているという気負いもあったのだろうか。私にとっては気恥ずかしい話だが、キャッチーなエピソードで、講演会場が笑い声に包まれたことは言うまでもない。
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source : 文藝春秋 2023年5月号