日本映画史に残る名優、高倉健(1931~2014)。東映ニューフェイスの後輩の千葉真一氏(1939~2021)が生前、記者の取材に知られざる交流秘話を明かしていた。
千葉さん
「千葉。それはな、しょうがねえんだ。あきらめちまえ」
僕は人間ができてないですから、たまに愚痴を言うことがあるでしょ。長々と僕がしゃべっているときに健さんは腕組みをしながらじっと黙って聞いて、しばらく間があった後、そう言葉をかけてくれるんです。
余計な言葉はいわなくても、短い言葉に強烈な説得力がある。健さんがしょうがねえって言うなら、それはそうだなと。それだけでもう不満は忘れて、ケロッといい気分で仕事ができるようになるんだから不思議なものです。
若い頃に付き人や運転手をして、大変かわいがっていただきました。今も足元にも及びませんが、僕は憧れの健さんに一歩でも近づきたくて、ずっと努力を重ねてきたつもりです。
光栄なことに、66年に公開された僕の主演映画「カミカゼ野郎 真昼の決斗」(監督・深作欣二)に友情出演してくださいました。当時の僕は26の若造。主演以外はやらなかった健さんに、おそるおそる出演をお願いすると「お前が言うなら出てやるよ」と二つ返事で受けてくれたんです。
撮影が行われた台湾で健さんが好きな中華料理のレストランに行った時のこと。「適当に頼むぞ」って言うから、健さんに注文をお任せしたら、見たこともない料理が次々に運ばれてくる。うまいうまいとかぶりついていたら、健さんが「それフロッグだぞ」と(笑)。生まれてはじめて食べたカエルの味は今も忘れられません。
僕がハリウッドに進出したのも健さんのおかげです。健さんに言われたことは「千葉、役者は世界で何本か撮って、それではじめて一人前だ」。70年代に「燃える戦場」や「ザ・ヤクザ」でハリウッド映画に出ていた健さんは、すでに「世界の高倉」でした。
「ザ・ヤクザ」で共演したロバート・ミッチャムのロスの自宅に連れて行ってくれて、ミッチャムに僕をこう紹介してくれました。
「これから俺もハリウッドに行きますけど、こいつも絶対に行きますから、よろしくお願いします」
この後押しがなかったら、僕はハリウッドに行っていません。
実は一度だけ、“合コン”に誘われたことがあったんです。健さんが利用していたパンナム(パンアメリカン航空)のキャビンアテンダントに僕の大ファンがいて「一緒に飯食うから来いよ」と言われ、すぐに駆けつけました。
高倉健
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source : 文藝春秋 2022年1月号