高峰秀子というディープインパクト

楠木 建 一橋ビジネススクール特任教授
エンタメ 読書

元祖テレビ屋大奮戦!』(文藝春秋、絶版)の発行は1983年。僕は大学生だった。特にやりたい仕事はなく、将来についての構想も抱負も皆無。ひたすら引きこもって布団の中でスキな本を読んでいた。大人たちは若者に「好きなことをやれ!」と言う。これほど不親切なアドバイスもない。スキなことといえば、寝転がって本を読んだり、歌ったり踊ったりすることぐらい。どう考えても仕事と折り合いをつけるのが難しい。どうしたものか……と考えあぐねているときに、本書に出会った。スキなことをスキなようにやって仕事にしている人がいる――衝撃を受けた。

楠木建氏 ©文藝春秋

 著者の井原高忠はテレビの黎明期を牽引したプロデューサー。学生時代はカントリーバンドを組み進駐軍の基地で演奏していた。当初は漠然とジャーナリストを目指していたが、突然「テレビ」というものが登場した。すぐにジャーナリストはやめにして、日本テレビにもぐりこむ。その理由は「新聞社よりも歌舞音曲が多そうだから」。この気楽さが最高だ。職業選択なんてそれでイイのか!――当時の僕は大いに勇気を得て、再び布団にもぐりこんだ。

 しばらくの紆余曲折を経て、大学で研究職に就いた。自分の考えを本や講義や論文で人さまに提供し、何らかの役に立ててもらう。この仕事を大いに気に入っているのだが、大学も組織だ。教授ともなると管理や運営の仕事もしなければならない。これがイヤで仕方がない。

 そもそもそういうことが向いてないからこの仕事を選んだわけで、どうしたものか……と思っているときに、井原のことを思い出した。彼は制作局長に就任した直後、50歳で日本テレビを辞めている。プロデューサーは番組制作の戦場がすべて。参謀本部では力が発揮できない。現場では利口でも、本部では馬鹿になってしまう。さっさと辞めるに若くはなし――じつに明快だ。

 定年退官はしばらく先だが、この3月で長く勤めた大学をいったん退職した。フルタイムの教授職から特任教授(契約社員のようなもの)に移った。これで自分のスキな仕事に集中できる。『元祖テレビ屋大奮戦!』は僕の最初と最後(とはいえ、まだ仕事をしているのだが)の意思決定に影響を与えた。

『日本の喜劇人』に出会う

 経営学の競争戦略という分野で仕事をしている。僕の仕事は結局のところ“芸”のようなものだと心得ている。自然科学のような再現可能な法則を探求し、証明するというものではない。商売に再現可能な法則はもとよりない。「こう考えてみたらいかがでしょうか」――「理論」というよりも自分なりに組み立てた「論理」を提供する。真理を追究する「学問」より「学芸」といったほうがいい。学芸大学に行ったほうがよかったかもしれない。

 30歳を過ぎるまで研究テーマが定まらなかった。だましだましやっているうちに、小林信彦『日本の喜劇人』(新潮文庫)に出会った。エノケン・ロッパからビートたけしまで、昭和の喜劇人の生きざまを描く。渥美清の章に痺れた。

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source : 文藝春秋 2023年5月号

genre : エンタメ 読書