まずはもの凄い奇書から。日本缶詰協会が1981年に出した『Enjoy CAN Cooking』。バブル絶頂期に缶詰の販売促進のために作られた本なんですが、その主眼は「調理済みの缶詰を再調理する」ことにあって、例えばイカの醤油煮の缶詰にトマトソースを加えてペスカトーレにしましょうという調子で、出てくる料理が全部気持ち悪い(笑)。そんな料理の写真がアメリカの雑誌っぽくズラッと並び、片岡義男さんや吉行淳之介さんが書いた缶詰に関するエッセイが載っていて、巻末では缶詰の歴史や規格まで網羅している。当時高校生だった僕は、「何なんだ、これは!?」と衝撃を受けました。
「マニエリスム」という言葉がありますよね。広辞苑では〔美術史上、ルネサンスからバロックへ移行する時期の誇張の多い技巧的様式〕とあって、和風にいえば「かぶく」に近いんですが、この本がまさにマニエリスム。この本によって、音楽や文筆でメシを食っている今の自分の原点にあるマニエリスムという感覚が覚醒されたと思います。
もっともその頃は友達とバンドを組んでいたけど、プロになれるとは思ってなかったし、文筆の方も兄(作家の菊地秀行氏)が既にデビューしていたので、「あんな大変な仕事はできないな」と。それで当時流行っていたコピーライターになろうと思ったんですが、これは自己像の誤謬で、結局コピーライターどころか大学にも入れず、仕方なく音楽学校に入ったら成績がよくて、なぜかプロのジャズミュージシャンになって山下洋輔さんのグループに入り……、現在に至るわけです。
兄は14歳上なので、僕が物心ついた頃には家を出ていましたが実家には部屋が残っていて、その本棚は50年代末から60年代にかけて青春を過ごした「第一期オタク」がコレクションした宝の山。例えば僕が初めて筒井康隆さんの存在を知ったのも、この部屋で読んだ古い「SFマガジン」だったりするわけです。
筒井さんの小説は全部読んでますが、1冊挙げるとしたら『エロチック街道』(新潮文庫)。これは「見た夢をそのまんま小説化する」実験的な作品で、当時世界的な文学潮流となっていたガルシア・マルケスに代表される中南米発のマジックリアリズムに、筒井流のアンサーを示したともいえます。高校生だった僕は「この作家はヤバい」と完全にハマりました。幸運なことに筒井先生とはその後、何度かお目にかかる機会がありましたが、僕は「筒井愛国少年」みたいなもので、先生に会うときは「謁見」とか「拝謁」といった緊張感があります。
南伸坊さんの『笑う写真』
南伸坊さんの名著『笑う写真』(ちくま文庫)は、写真論の本ですが、やはり80年代のマニエリスムの精神が横溢してます。我々は写真に写っているものを真実と見なすが、本当にそうなのか――そんな問いを立てた南さんは切り貼りやモンタージュの技法を駆使して、心霊写真や写真週刊誌の写真を撮ってみせる。いわばフェイクニュースの出現を予見したわけで、やっぱりあの人はものすごい才人なんですよ。
フェイクニュース繋がりでいえば、アメリカの著名なサイエンスライター、マーチン・ガードナーの『奇妙な論理』(現代教養文庫)。これはかつて広く信じられていた似非宗教や似非科学――「ホメオパシー」とか「地球空洞説」とか――を冷静な筆致で斬りまくって、めくるめく面白さ(笑)。原著は1952年刊ですが、現在問題になっているQアノンのような陰謀論も構図はまったく同じです。これを中学生のときに熟読したことで、今に至るまで「人間社会に全く新しい事象というのは実はない」ことがよくわかりました。
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source : 文藝春秋 2023年5月号