父・井上光晴が母以外の女性と会っていることは、実は、かなり大人になるまで知りませんでした。出かけると必ず翌日に帰ってくるのですが、私はそういうものだと思っていた。うんと小さい頃、父に聞いたことがあります。「チチはいつもどこに泊まってるの?」。「バーに泊まってるんだよ」と言うから、ふーん、そうなんだと思っていましたが、バーに通う年頃になって気づきました。泊まれないじゃんって(笑)。
父の姿を振り返ると、自分が結婚していいのか、家族を持っていいのか。そんな思いをずっと抱えていたように思います。だって、小さな娘が大切に飼っているヤドカリを「一匹焼いてみてもいいか?」なんて聞く父親ですよ。ヤドカリを焼く場面を小説に書くので、どんな匂いがするか知りたいと。子どもからしたらトラウマになる衝撃的な出来事です。そんな父ですから、「おとうさん」と呼ばれることへの葛藤があったのでしょう。
子どもたちが父の行状に気づかなかったのは、何より家の中がものすごく平和だったからです。父は家で小説を書いており、基本的に毎日三食、家族全員で食卓を囲みます。食にうるさい父のために母は昼からうどんを打ったり、ロシア風餃子を包んだり。夜は2時間も3時間もだらだらお酒を飲んでその日のできごとを家族に話していた。だいたい虚実ない交ぜの大げさな話でした。私達を楽しませようとしていたんですね。
母はいつもニコニコしていて、父の女性関係を問い詰めていたのは、たった一度だけでした。
時期を考えると寂聴さんではありませんが、書斎の電話で女性と甘い言葉を交わしていたのでしょう。地声が大きい父のことですから、小声といっても会話は丸聞こえで、洗濯物を運んできた母が偶然、耳にしてしまったのです。それまでも似たような場面がなかったわけではないと思いますが、この時だけは「吐き気がするわ」と烈火のごとく怒っていました。あの時ばかりは母が離婚を言い出すのではないかと思いました。
「神様がいたとしても……」
今から8年くらい前、編集者から父と寂聴さん、母との関係を書いてみないかと提案されました。すぐにお断りしましたが、ちょうど同じ頃、寂聴さんが体調を崩され、夫や作家仲間と寂庵へお見舞いに行く機会がありました。そこで寂聴さんは、私へのサービスかもしれませんが、しきりに「光晴さんはこのお店が大好きだったのよ」とか、「光晴さんが」「光晴さんが」とおっしゃるんです。そんな父への強い想いにグッときて、東京に戻って来て「やっぱり書こうかな」と言ったのを覚えています。
いざ調べていくと、父と寂聴さんが恋愛関係にあったのは、私が5歳から12歳の7年間でした。当時は知りませんでしたし記憶もないから、父や寂聴さんの小説やエッセイを読んだり、寂聴さんに直接お話を伺いました。そしてなにより驚いたのは、父が寂聴さんの小説を添削していたことです。
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source : 文藝春秋 2023年7月号