中国「川端ブーム」にみる出版事情

毛 丹青 作家・神戸国際大学教授
エンタメ 中国 読書

 今、中国では川端康成作品の出版ラッシュが続いています。その人気は社会現象と言っても過言ではなく、長年、中国と日本の双方で作家業・翻訳業を営んでいる私も少し驚いているほど。先日は中国から来た約20人の観光客を、大阪の茨木市にある川端康成文学館に案内しました。彼らは皆、川端作品の愛読者で、川端康成のゆかりの地を巡るツアーに参加している人々。文学館の館長さんも「ブームのおかげでたくさんの中国人が来るようになった」と言っていました。

毛丹青氏 ©共同通信社

 なぜ今、中国で川端作品がブームなのか。理由はいくつかありますが、ひとつは今年、川端康成の死から50年を経たことで彼の作品の著作権保護期間が切れたため、中国語版が自由に出せるようになったことがあります。日本の保護期間が作者の死後70年なのに対して、中国は50年と短いのです。

 2021年に三島由紀夫作品の保護期間が切れた時も、やはり三島ブームが起こりました。しかし今回の川端ブームはその比ではありません。この差は2人の作品の優劣といったことではなく、現在の中国の社会情勢に大きく関係していると私は考えます。

 中国では2013年の習近平政権誕生以来、出版物に対する検閲の厳しさは増す一方で、特に海外文学は厳しく検閲されています。最近、私が翻訳したある日本の作品も、過激な表現はないのに出版することができませんでした。しかし川端作品は、日本の大正から昭和にかけての、戦争がない平和な期間を舞台にしているものが多い。作品の多くが反体制運動や戦争をテーマにしていないので、検閲に通りやすいのです。

 さらに、こうした不自由な社会で、人々は川端作品の美しく詩的な情景描写に「癒し」を求めています。元々、中国では川端康成の類まれな表現力は評価が高く、ノーベル賞作家の莫言氏も『雪国』の美しい描写に大きな影響を受けたと公言していました。

川端康成 ©文藝春秋

 現在の中国は、例えば軍のスローガンをネタにしたコメディアンに2億円を超える罰金が科されるなど、小説よりも現実の方がエキサイティングな出来事が次々と起こるような社会。残念ながら小説が現実の刺激に勝てないのです。そのため人々は文学にストーリー性というよりむしろ、川端作品のように心を豊かにし、生活に潤いを与えるような美しい言葉を求めています。彼らは文学をまるで「癒しグッズ」のように消費することで、日々の不満や生きづらさを解消しようとしているのです。

 また、優れた若手翻訳者が多くいる点も、ブームに拍車をかけていると言えます。最近は言論空間が厳しく制限され、作家を志す才能がある人でも言論統制による逮捕のリスクを考えて、ものを書くことを避ける人が多い。彼らの中には、海外文学の翻訳者に転身する人も少なくありません。元々は作品を生み出す能力がある人ですから翻訳のクオリティは高く、大勢のファンがついている翻訳者もいます。さらに、若い彼らはSNSを駆使した作品のアピールにも長けていて、翻訳者兼プロモーターの役割を積極的に果たしています。

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source : 文藝春秋 2023年8月号

genre : エンタメ 中国 読書