サイエンスライターの佐藤健太郎氏が世の中に存在する様々な「数字」のヒミツを分析します
この地球で最も繁栄した生物は何だろうか。数の上から行けば、それは昆虫だ。アリだけでもこの地球上に2京匹が生息しているというから、軽く人類の200万倍以上になる。人の住めない砂漠や南極、空中や地下深くにも、彼らは平然と暮らしている。
しかし昆虫にも、ただひとつ苦手な場所がある。それは海だ。かろうじてサンゴ礁や汽水域などを生息地とするものはいるが、遠洋は彼ら昆虫にとって唯一の鬼門らしく、海中や海上で暮らす昆虫はほぼ皆無だ。
だが自然は奥深く、例外もやはりいる。ウミアメンボ類に属する5種の昆虫が、海面に浮かんで生活しているのだ。体長わずか1〜5ミリメートル程度の小さな虫たちが、吹き荒れる嵐や大波に耐えて生き延びているというのだから、驚く他はない。その生息範囲は、北緯40度から南緯40度までの広い海域に及んでいる。
しかし、彼らの生態についてちょっと想像しただけでも、多くの疑問が浮かんでくる。真っ先に思いつくのは、波に巻かれて溺れてしまわないのかという点だ。実はウミアメンボの体表は毛で覆われており、水面下でも付着した泡で呼吸ができる。実験では17時間も潜水していた個体がいたというから、多少荒れた海でも平気なのだ。
では、彼らは何を食べて生きているのだろうか? 遠洋性の種の餌が何かはっきりしないようで、魚卵や海洋生物の死骸、動物プランクトンなどを捕食していると推定されている。また共食いもみられるようで、厳しい自然に生きる者の宿命かもしれない。
そしてもう一つ、この広大な海の上で、波間に漂う小さな虫同士が出会い、子孫を残すことなどできるのだろうか? しかし詳しい計算によれば、1平方キロメートルあたり100匹程度という低密度の環境でも、海洋拡散によって1日あたり10度ほど他の個体と出会えるのだという。そうはいっても、逆巻く波の中で相手を見つけ出し、交尾するのは並大抵のことではないだろうから、そのたくましさには舌を巻く。
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source : 文藝春秋 2023年11月号