ペソアの評伝を書く

澤田 直 フランス文学者
エンタメ 読書

 フランス文学者なのに、なぜポルトガルの詩人の翻訳をしているんですか? おまけに500ページ近い評伝まで書くなんて! と学生だけでなく、同業者からも言われたりする。学生には、「文学に国境はありませんから」と答えたりするが、本音を言えば、ペソアの作品に一目惚れしてしまった、それだけの話だ。

 ぼく自身のボキャブラリーにはないが、今どきの表現を用いれば、「推し」ということになる。好きになって、その人物や作品のことを語りたい、そのすごさをみんなに伝えたい、その一心から、ポルトガル語を学び、訳を始め、調子にのって出版までした。

『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』(集英社)

 このフェルナンド・ペソアという詩人・作家のどこがそれほど魅力的なのか。ポルトガルの国民的詩人とも形容される彼は、1888年に生まれ、世間的にはほとんど無名のまま1935年に亡くなった。20世紀前半、ヨーロッパでは未来派、ダダイズム、シュルレアリスムなどが華々しく展開したが、それらとはほぼ無縁に独自の道を歩んだ。

 最大の特徴は、偽名ともペンネームとも違う、彼が「異名」と名づけたシステムを編み出したこと。自分とは別の人格を作り上げ、そのパーソナリティが憑依したかのような仕方で作品を書く。ペソアはこのような「異名者」を、名前だけのものも入れると100ほども案出した。もちろん、全員が作品を書き、発表したわけではない。代表は生年月日や伝記的背景も持つ3人の詩人。金髪碧眼の自然派詩人アルベルト・カエイロ、茶色の髪をした医師でラテン的古典詩人リカルド・レイス、造船技師でユダヤの風貌を持つ前衛詩人アルヴァロ・デ・カンポスだ。

 異名による創作は文学史上希有の試みと言える。詩はしばしば自分の心情をそのまま吐露したものだとされるが、ペソアの考えは違う。

「詩人はふりをするものだ/そのふりは完璧すぎて/ほんとうに感じている/苦痛のふりまでしてしまう」

 と言い、感じるのはむしろ読者の役割なのだと言う。

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source : 文藝春秋 2023年12月号

genre : エンタメ 読書