金子みすゞを慕い続けた弟

松本 侑子 作家・翻訳家
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 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年に生まれ、大正から昭和初期に活躍した詩人だ。彼女の詩作の最大の理解者は、弟で作詞家、脚本家の上山雅輔(かみやまがすけ)だった。だが彼は、みすゞを姉とは知らずに育った。従来、雅輔は、みすゞを姉と知らず恋慕を抱いたとされてきた。その関係は複雑で、波乱の運命がある。

 みすゞと雅輔は、日本海に面した山口県の漁師町、仙崎に生まれるが、幼くして父を満州で亡くす。赤ん坊の雅輔は下関の大書店、上山(うえやま)文英堂に引きとられ、実子として育つ。上山家には、実母の妹が嫁いでおり、みすゞと雅輔は「いとこ」になった。

 2人が育った大正時代は児童文芸誌「赤い鳥」などが創刊、童謡詩が人気を博し、曲がついて歌となる。北原白秋「赤い鳥小鳥」、野口雨情「十五夜お月さん」、西條八十「かなりや」など今も愛唱される詩が書かれた。みすゞと雅輔は共に本屋の子であり童謡詩を愛読し、歌った。

金子みすゞ ©金子みすゞ著作保存会

 大正12年、20歳のみすゞは下関に出て、上山文英堂で働きながら、詩作を始め、雑誌に投稿。その比類なき想像力と視点の逆転から書かれた「大漁」「砂の王国」などが詩人の西條八十に絶賛され、毎月のように誌面を飾る投稿詩人となる。その詩に的確な批評をして、みすゞを励ましたのが、同居する雅輔だった。

 雅輔が10代から80代まで書いた日記帳と回想録が、近年、四国で見つかった。それを読むと、彼は身近な娘たちには青年の熱い憧れをよせていたが、みすゞのことは詩才に秀でた尊敬する「いとこ」として見ていたことがわかった。

 大正15年、みすゞは上山文英堂の番頭と結婚。20歳の雅輔は猛反対して家出する。その心を、四国の回想録に見つけた。

「この繊細なインテリ女性を、一介の番頭如きに呉れてやるのは惜しかった」(本邦初公開)

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source : 文藝春秋 2023年7月号

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