「日本は明治維新と敗戦の2度、上の世代が飛んで、すっかりいなくなったからね。それが良かったのかもしれないねぇ」
文藝春秋12月号掲載の「緊急提言 日本の危機の本質」(憂国グループ2040)のゲラを読んでいたとき、作家の城山三郎さんがふと漏らした言葉が突然よみがえって来ました。
その言葉を聞いたのは、今から20年ほど前。本誌の連載小説「気張る男」のため、明治期の実業家・松本重太郎のことを取材していたときのことでした。
重太郎はすでに忘れられて久しく、私も担当になるまで、その存在を知りませんでしたが、かつては「西の渋沢栄一」と呼ばれ、銀行を興すかたわら、アサヒビールや南海鉄道、東洋紡の創業にかかわった人物です。城山さんは、連載開始にあたって「重太郎自身は自分の銀行をつぶしちゃったんだけど、育てた企業はしっかり残っている。孫の重治もジャーナリストとして大成した。それでいいんだよ」と話していたことも思い出されます。
重太郎は江戸末期に丹後から京都へ丁稚奉公に出ています。私が「日本は100年くらいで、まったくちがう社会になったんですね」と言った時に、冒頭の言葉が城山さんの口から出たのです。
城山さんの表現を借りれば、維新で武士階級が飛び、敗戦で大日本帝国の政府要人や軍人、華族階級が飛びました。社会を上から押さえていた重石が取れ、階級格差は少しずつ解消され、日本は新しい社会に生まれ変わることができた。それを城山さんは「良かった」というわけです。
城山さんは、戦後ホンダを創業した本田宗一郎と親しく、本(『本田宗一郎との100時間』)も書いていましたから、公職追放後におこった世代交代の効果は実感を持って語ることができたのです。
「日本の危機の本質」で指摘しているのは、この数十年のあいだに築き上げられた既得権の弊害です。かつての経済大国も、いまでは1人当たりGDPは世界30位くらい。この20年ほどを振りかえると、新たなグローバル企業が登場する気配はなく、沈滞ムードにおおわれています。数十年前に同じ国でベンチャー勃興期があったとは信じられないほどです。「日本の危機の本質」では、現代の日本をこう読み解きます。
〈こうした重苦しい空気の原因、元凶をどう捉えるか。答えは一つではなく、正解もないかもしれないが、高齢世代にさしかかりつつある我々の目線で言うと、過去の成功体験にとらわれ、その遺産たる既得権にしがみつく高齢世代と、分厚い上の世代に押されてリスクをとらない若い世代という構図が日本の現状ではないか〉
執筆した「憂国グループ2040」のメンバーは、現在50代前半の団塊ジュニア世代。1990年前後に日本国中が胸を張っていた頃は、高校生から大学生でしたが、「我々も“逃げ切り世代”に入りつつある」と正直に書いています。
20ページにわたる原稿ですが、文章は歯切れよく、スイスイと読むことができます。話題は、日本の人材育成、企業の新陳代謝、医療保険、年金、介護保険と広がり、社会のそこかしこにはびこる危機の本質を炙り出していきます。
読み進むにつれ、なぜ今、医学部人気が圧倒的なのか、欧米に比べ日本企業の廃業率が低いのはなぜか……そこには既得権があり、それを守るための政治的な力が働いている……こともよくわかります。
2023年は敗戦から78年。維新から敗戦までの77年とほぼ同じ年月が経過しました。
維新も敗戦も、国土と国民をボロボロにしたうえでの社会刷新でした。城山さんも海軍に志願兵として入り、「あの戦争はむちゃくちゃだった」と語っていました。冒頭の言葉の含意は、「ボロボロになったけれど、良かった面もないわけではない」ということでしょう。いまの日本に問われているのは、平和な時代に社会を変えていくことができるかどうか。憂国グループ2040はこう指摘しています。
〈原因が分からない病気は治せないが、原因が分かれば治療法もあるかもしれない。日本という患者にも手遅れにならない方策は残されているのではないか〉
筆者は結びのところで、「大国の座に戻るチャンスはまだある」と力強く訴え、そのための手立てを提言しています。
(編集長・鈴木康介)
source : 文藝春秋 電子版オリジナル