山田五十鈴 背筋をピンと

村上 弘明 俳優
エンタメ 昭和史 芸能 映画

女優・山田五十鈴(1917〜2012)は70年以上に亘り第一線で活躍した。昭和の女を体現し続けた山田の軌跡を「必殺仕事人」で共演した村上弘明氏が考察した。

 私が山田五十鈴さんに初めてお会いしたのは27歳の時「必殺仕事人Ⅴ」の撮影の最中だったと思います。「村上です。よろしくお願いします」と挨拶すると、はにかんだ様に微笑み「山田です。よろしくお願いします」と返答してくださった姿が何とも初々しく、印象に残っています。当時の松竹京都撮影所は「東映が颯爽とした派手な活劇を描くなら、こちらは心の機微に触れる世話物を扱おう」という気風があり、職人肌のスタッフが集まっていました。私が必殺のメンバーに加わった時、山田さんは毎回出演されるのではなく、節目節目にご出演される状況でした。

山田五十鈴 ©文藝春秋

 たまにセットでご一緒する時、山田さんは誰よりも早くスタジオ入りし、椅子に座られ背筋をピンと伸ばして待機している。その佇まいから撮影に臨む覚悟と姿勢が窺い知れ、身を正される思いがしたものです。その凜としたお姿は、幼少期から常磐津、長唄、日本舞踊で鍛えられたせいもあったのでしょう。それでいて少女のような雰囲気も併せ持ちながら、ひとたび「本番!」の声が掛かるや、リアルで凄みのある仕事人「殺し屋おりく」が憑依する。大女優の芝居の片鱗を間近にし、つい見入ってしまいました。

 その後、山田さんとはNHKドラマ「マッチポイント!」(2000年)で再び共演の機会を得ました。鮮やかな花柄のワンピースを身に纏い「またご一緒できましたね」と微笑む表情、姿、匂い立つような艶は周囲を圧倒していました。齢80を超えられているのに、その色気、可愛さ、華やかさはどこから生まれるのだろう、と山田五十鈴という女優の軌跡に興味を抱いたものでした。

 女優山田五十鈴を決定づけた作品は溝口健二監督の『浪華悲歌(なにわえれじい)』、『祇園の姉妹(きょうだい)』(共に1936年)だと思います。『浪華悲歌』では不幸な境遇から借金のカタとして愛人にさせられ、兄のために美人局までやるのに裏切られるアヤ子を演じきる。それとは対照的に『祇園の姉妹』では、男を手玉に取る、したたかな芸妓おもちゃを溌剌と演じています。公開された昭和11(1936)年といえば二・二六事件が起き、軍部のファッショ化が進んで欧州のナチス台頭など内外で軍靴の音が響いていた時代です。そんな中で監督の溝口健二は女性を主人公に据えて、“生きるために犯罪も裏切りも厭わない、痛い目に遭っても歩き続けるんだ”というメッセージを作品に埋め込もうと考えた。溝口は『瀧の白糸』のリメイク版とも言われる、前年の『折鶴お千』では、トップ女優の入江たか子が演じた役柄に10代半ばの山田五十鈴を抜擢した。愛する男の為に身を賭して、罪を犯してまでも思いを貫く純で一途な女性の揺れ動く心情を、母性を色濃く滲ませて表現している。女優山田の並々ならぬ資質に、名匠溝口は自らの作品の可能性が大きく広がったことを確信したはずです。

 僕が初めて松竹京都撮影所でお会いした山田さんは、まさに溝口作品のアヤ子やおもちゃが戦中を生き抜き、戦後にたどり着いた女性でした。戦後の代表作は『マクベス』を翻案した黒澤明の『蜘蛛巣城』(57年)や『用心棒』(61年)でしょう。前者では主君殺しを夫に唆す浅茅の狂気を演じ、後者では、打算的で夫や子をこき使う姐御おりんを演じました。いずれも山田さんでなければできない強烈な役柄です。溝口映画のヒロイン像が黒澤監督にも鮮烈だったからこそのキャスティングだったはずです。

 日本の三大監督の2人が起用した山田五十鈴も、意外なことに小津安二郎作品は『東京暮色』(57年)に留まります。女優としての「いろは」を叩き込まれた、溝口学校の秘蔵っ子を自作で使う事は、同世代でライバルでもある小津としては、仁義にもとると遠慮したか、はたまた、あまりに溝口色の強い山田は小津作品には馴染まなかったのか。暗い世相に咲く日陰の花を演じ、生き抜くための色香を発散させる山田五十鈴の美。それは原節子の美しさとも違い、杉村春子の庶民性とも違う、生命の過剰さを感じさせるものでした。

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source : 文藝春秋 2024年8月号

genre : エンタメ 昭和史 芸能 映画