戦前は不世出の剣戟スター、戦中戦後は現代劇でも魅力を開花させた“大御所”阪妻こと阪東妻三郎(1901〜1953)。父としての知られざる横顔を高廣・正和の田村三兄弟の末弟、亮氏が語った。
私が父と死別したのは7歳、小学校1年生の夏でした。学校の教室で授業を受けていると、小使いさんがやって来て先生に何か小声で告げている。話を終えた先生から「田村君、すぐ帰りなさい」と言われました。理由がわからないまま廊下を歩いていくと、下足場に大人が一人逆光を浴びて立っていた。その人は父の仕事を支えてくれていた番頭さんでした。普段は軽口も叩くおじさんなのに押し黙ったままでした。あの帰り道、蝉の声だけが激しく聴こえていました。嵯峨の家に着くとガランとしている。奥で泣いている母の声だけがしていました。幼心に「ひょっとして」と悟り、母がいる部屋を覗くと身罷った阪東妻三郎が横たわっていました。
私は末っ子なものだから父の思い出が少ない。だからこそ忘れられないことがあります。台風の際に大水が出ましてね。父が使いに出した番頭さんが、学校から田んぼのなかを帰る僕らが増水した用水路などに流されないように、伐った竹を僕らの体に縄で結わえつけてくれたことは忘れません。
それと年々歳々、お正月や節分、端午の節句などの折々の行事を張り切ってやってくれました。私だけじゃなく近所の子どもも集めて喜んでいた。後年、祇園芸妓を総揚げにしたという武勇伝を耳にしましたが、私にとっては子どもっぽい、無邪気な父でした。当時の芸妓さんが語るところでは、うちの母の前ではシャンとしてたのに妓楼ではよくオナラをして笑わせたりしてたようです(笑)。
物心がつく頃には父が俳優で、友達も「阪妻は強いで」と騒ぎ、メンコの図柄にもなるくらいの人気者だとはわかっていました。そんな父の映画を初めて観たのが松竹30周年記念映画『大江戸五人男』(1951年)です。父が演じる幡随院長兵衛が水野十郎左衛門に斬られる場面で、「あ、お父ちゃん、危ない!」と声を上げたら、母に「心配せんと、あれはお芝居やから大丈夫」と教えられました。まだ映画で演じるという意味が、よくわかっていなかったんでしょう。
『雄呂血』で出会った両親
私が何の因果か俳優という職業についてから、父が出たサイレントの傑作『雄呂血』(25年)をはじめ、戦後も人気でリバイバルされてヒットした『血煙高田の馬場』(37年)、何度もリメイクされる『無法松の一生』(43年)、チャンバラなしの人情喜劇『狐の呉れた赤ん坊』(45年)などの素晴らしい作品群に触れました。
阪東妻三郎プロダクション第1作の『雄呂血』は27分間の大立ち回りが有名な作品です。父演じる平三郎は人を斬らないように大乱闘を繰り広げるのですが、ふとした間違いで人を殺めてしまう。それに気づいた瞬間、お縄を頂戴する。その迫力、悲憤込み上げる演技にはリメイク版は追いつきません。それに実は、この映画がなければ私はこの世にいなかった。というのも、母と父が知り合うきっかけになった作品なんです。娘時代の母が「弁当を阪妻さんに届けるように」と言いつかってロケ先へ出向いた。なんで映画スターへ自分が弁当を届けるのかな? と内心、不思議だったそうですが、これがなんとお見合いだったんです。大立ち回りの最中、そういうロマンスがあったとは、母に聞かされるまで知りませんでした。
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