志村喬(1905〜1982)は“昭和の名優”と呼ぶにふさわしい演技で作品を輝かせた。名優と親子を演じた前田吟氏が尊敬と秘話を交え、その魅力を語った。
僕は少年時代、郷里の映画館で黒澤明監督の『野良犬』(1949年)を観て以来、ずうっと志村喬さんのファンでした。あのベテラン刑事の佇まい、厳しくも慈愛のこもった演技は僕が喪った父親のイメージとして心に残ったんです。その後、俳優座の15期生として学んで卒業する際、僕は記念文集に「また負け戦だったな。でもしつこく生きてやろう」と書きました。『七人の侍』(54年)のラストで志村さん演じる島田勘兵衛が呟いた台詞のもじりです。僕は人生で心が折れそうになった時、自分を奮い立たせるために『七人の侍』を必ず観てきました。死力を尽くして戦う勘兵衛の勇姿に生きる力をもらうんです。
志村さんは普段、三船敏郎さんや勝新太郎さんのような映画スターのオーラは出さない。ところが1度、銀幕に映ると圧倒的存在感を漲らせる。主役・脇役ともに演じ分けた加東大介さんや小林桂樹さん、船越英二さんといった「スター」と呼ばれることもあった映画俳優とも異なる、シンプルに“俳優”という2文字が似合う人なんです。後にも先にもいないタイプの方だと思います。この印象は『男はつらいよ』(69年)で僕が演じた諏訪博の父親・飈一郎(ひょういちろう)役で出てらした時もそうでした。
役柄も多彩な方で、これは渥美清さんに教えられたんですが、戦前は『右門捕物帖』シリーズでコミカルな与力あばたの敬四郎を演じたりしてるんですね。戦後は医者や大学教授、『椿三十郎』(62年)の家老のような悪者も演じている。同時代の凄味がある山本礼三郎さんや軽妙な藤原釜足さんとも違う、独自の品を保った演技です。その後、昭和43(1968)年に僕が映画『ドレイ工場』の労組の青年役で出演する際には、志村さんも社長役でお出になると聞き、実際に演技を目の当たりに出来るぞ! と心躍ったものです。労使で対立する役でしたが、流石の存在感でこちらが学び取る隙もないほどでした。
『砂の器』で共演したかった
だけど翌年には『男はつらいよ』の父子役で共演出来たのだから幸せでしたね。この時は余りにも見上げる存在だから、終始鳥肌が立っている状態でお話も出来ません。そうした憧れ以上に、志村さんには「下手に話しかけるとこちらの意図が見透かされるぞ」という畏怖を持たせる雰囲気がおありでした。志村さんは脚本の隅々まで目を通されていて、台本に書き込みを入れている。僕ら共演者の芝居まで頭に入ってらっしゃるんです。直感的な芝居をする僕には怖かった(笑)。それと志村喬さんは私生活を感じさせない人でした。所帯じみていない、大正時代の大学教授という風情。だからテレビの『大岡越前』でご一緒しても気楽に声をかけられませんでした。
そんな中、かえすがえすも惜しい思い出が一つあります。『男はつらいよ』の打ち上げの席で山田洋次監督から『砂の器』(74年)で志村さんと共演する機会が再び与えられそうだよと教えられたんです。志村さんの役は本編で丹波哲郎さんが演じた今西刑事、僕は森田健作さんの吉村刑事という役どころ。原作も読みこみました。ところが『男はつらいよ』が大ヒットし続編がつくられることになった上に、山田監督の『家族』(70年)や『故郷』(72年)、深作欣二監督の『仁義なき戦い 広島死闘篇』(73年)への出演が決まり、僕が忙しくなったので叶わなかったんです。僕が出られなくても今西刑事を演じてほしかった志村さんも、テレビや映画『華麗なる一族』(74年)などがあり、多忙で出演出来なかったんでしょう。今、皆さんが観ている丹波・森田コンビによる『砂の器』ができた。
『砂の器』の見せ場、逮捕状発行前に容疑者の素性を語る場面。丹波さんの朗々たる名調子も印象に残りますが、志村さんならそれをどう演じたか、未だに思いを馳せます。きっと『野良犬』の刑事が歳を取り、名作『飢餓海峡』(65年)での伴淳三郎さんを超える、枯れて理知的な芝居を披露したのではないか? 最後の最後で人情を忍ばせながら、悲しき犯人の親子関係を語ったのではないか? あの美声と眼差しをスクリーンで観たかったですねえ。
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