長きに亘って、終戦を知らぬままフィリピンで過ごした小野田寛郎(1922〜2014)。小野田自然塾の活動を支え続けた大友長悦氏が、その信念を読み解く。
フィリピンのルバング島で、終戦を知らぬまま29年にわたって孤独な戦いを続けていた小野田寛郎さんが、日本に帰国したのは昭和49(1974)年のことでした。島のジャングルで、冒険家の鈴木紀夫青年に発見され、元上官であった谷口義美少佐の任務解除命令を口頭で告げられたことで、小野田さんは残置諜者としての任務を終えました。そして敗戦を受け止め、ようやく戦後を迎えられたのです。
実際に流れていた29年という月日と、小野田さんの認識のズレは、わずか6日だったそうです。小野田さんは毎晩、空を見上げて星座の位置を確認し、時間の流れをほぼ正確に把握していたのです。
日本に戻った小野田さんは、しばらくして世間の喧騒に嫌気が差してブラジルに移住、牧場を経営します。その後もメディアなど、純粋な小野田さんを利用しようという輩が集まってきていたようですが、昭和51年に結婚した妻の町枝さんが防波堤となって守ったそうです。
小野田さんが再び日本に戻るきっかけとなったのが、20歳の予備校生が起こした神奈川金属バット両親殺害事件です。このニュースに心を痛め、日本の子どもたちが置かれた状況を案じ、昭和58年頃、拠点を日本に移し、講演などで全国を飛び回るようになりました。
「私は日本という国に30年間生かされた」
講演では聴衆を前に、小野田さんは必ずそう言っていました。「私には子どもがいない分、この美しい日本を守る次世代の子どもたちを、自分の子どものように思って応援する」という信念がありました。
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