歴史学者の網野善彦(1928〜2004)は非農業民に着目した『無縁・公界・楽』(昭和53年)、『異形の王権』(昭和61年)などの著作によって中世史ブームを起こした。甥で思想家の中沢新一氏がその歴史学に秘められていたものを探る。
網野さんから聞いた重要な話は、たいがい酒の席で耳にしたものばかりである。網野さんは大変な酒豪だった。いくら飲んでも少しも酔ったようには見えないで、むしろますます顔色は青くなっていった。私のほうはといえば、ちょっとの酒ですぐに真っ赤になってしまうたちなので、二人が酒瓶をはさんで語り合っている様子は、まるで大きな青鬼が小さな赤鬼に説教を垂れているようだった。
網野さんは山梨の私の実家に遊びにくるのをとても楽しみにしていて、そういうときは私の父も交えて、夜中までよく談論を風発させたものだった。山梨の酒宴は、たいがい地酒の葡萄酒の一升瓶を並べてやる。その夜も、父が蔵から出してきた葡萄酒の味が気に入った網野さんは、すっかり青い顔をして、もう2本目の一升瓶に手を出そうというところだった。
青鬼は赤鬼にこう語りかけた。「しんちゃんが今食べている姥貝の干物は、甲州の名産品だと言われている。鮑の煮貝も甲州の名物だ。どうして海産物が、海のない山梨の名産品になっているのかって、考えたことあるかい?」。赤鬼はないとしか言いようがない。すると青鬼はいじわるそうな目をしながら、「山梨は鮪の消費量でも、全国でも静岡についでいるそうだ。こういうことを知って、君はなぜだろうと考えたことはないか」。
さらに審問は続く。
「どんな山の中の村でも、祭りにはかならず海産物が出てくるぞ。魚や海藻を苦労して手にいれてきて、神様に捧げるんだ。日本人のお祭りには、海のものが欠かせない。神事の最中には、ご飯を食べたりしない。ご飯を食べるのではなくて、お米を醸したお酒を飲むんだ。それなのに君は、みんながお酒を飲んでいる最中に、平気でご飯なんかを食べている。みんながお酒を飲むときには、ご飯を食べたらだめなんだ」。ぐうの音も出ない私は、黙ってご飯を食べる箸を置いた。
私が大学生になったばかりの頃、網野さんの研究は「非農業」という概念の確立と、「海民」なるものの具体像を掴み取ることに、集中されていた。その新しい考えを、手加減しないで本気で私にぶつけてきた。網野さんの「農業嫌い(この言い方はひどく乱暴だが、網野さんの本音を言葉にしてしまうとそうなのではないか)」は、戦争中の学生時代の嫌な体験に深く根ざしていた。従来の天皇像が「農業の王」としてのイメージに強く縛られていることに、網野さんは強い違和感を抱いていた。左翼までがそのことを少しも疑わないで、天皇制批判をしていることにも、強烈なダメ出しをしていた。
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