後醍醐が確立した改変不能な天皇制『異形の王権』網野善彦

ベストセラーで読む日本の近現代史 第34回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
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 網野善彦氏(1928~2004年)は、日本中世史研究に民俗学、民族学、図像学(イコノグラフィー)の成果を学際的に取り入れて、新解釈を提示した傑出した知識人である。『異形の王権』は、南北朝時代の後醍醐天皇(1288~1339年)に焦点を定め、その時代を読み解いたユニークな作品だ。

 

 実は本書を筆者は、2002年7月に東京拘置所の独房で読んだ。当時の拘置所には冷暖房がなく、しかもこの年は猛烈に暑かった。検察官による取り調べの合間に、独房に戻って、『異形の王権』を少しずつ読み進めた。滝のように流れ出す汗で、この本はごわごわになってしまった。後醍醐天皇をはじめとする権力闘争に敗北した人々の生き方から何を学ぶかが、当時の筆者にとっては重要な課題だった。結局、この本をきっかけに筆者は獄中で『太平記』を全巻通読することになる。

『異形の王権』は、深刻な問題以外に、知的好奇心を満たすエピソードがたくさん盛り込まれている。その意味では、読者サービスについてもよく考えて書かれた作品だ。例えば、中世において、女性の1人旅が多かったが、想定されるリスクに対して、どう対処していたのであろうかというに対する解き明かしだ。網野氏は、こう説明する。〈こうした女性の一人旅に当って、当然おこりうる危険を、彼女たちはどのようにして乗り切っていたのか、という疑問が直ちに生ずる。それは時代を遡れば遡るほど、一層大きかったに相違ないからである。これに完全な解答を出すことはたやすくないが、私はこうした一人で旅をする女性の場合、性が解放されていたのではないか、と考える。『御伽草子』の「物くさ太郎」に「辻取とは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目にかゝるをとる事、天下の御ゆるしにて有なり」とあることは周知の通りである。道を行く女性に対する女捕、辻捕は『御成敗式目』をはじめ法令でしばしばきびしく禁じられているにもかかわらず、一方では天下の公許ともいわれているのである。これは伴もつれず、輿にも乗らないで道を歩く女性――一人で旅する女性が、男に「捕られる」ことをむしろ当然とする慣習があったことを前提にしなくては理解できないことではなかろうか。もちろんそれが強姦になり、付随する騒ぎがおこれば、さきの法令が発動したであろうが、圧倒的に多くの場合は、問題にされることもなく打ち過ぎたに相違ない。〉。旅の女性に対する「女捕」が、半ば公認され、旅行中のセックスに対するタブー感が稀薄であったので、女性の一人旅が可能であったと結論づける。

後醍醐の執念の作用

 本書で考察の中心となる後醍醐とはいったいどのような人物なのだろうか。網野氏によれば、〈たしかに後醍醐は異常な性格の持主であった。佐藤(進一、歴史学者)はその性格の特徴を「既成の事実を観念的に否定する」点に求めつつ、「不撓不屈と謀略、したがって多分の柔軟性をもった目的主義を身上とする」と評している。目的のためには手段を選ばず、観念的、独裁的、謀略的で、しかも不撓不屈。まさしくヒットラーの如き人物像がここに浮び上ってくるが、このような異常な性格の天皇を時代の表面に押し出した十四世紀の日本列島の社会の激動する状況を、その深部から明らかにすることなしに、またその中で後醍醐を突き動かした、前近代において恐らくは最も深刻な天皇の地位の危機の実情を解明することなしに〉、南北朝時代の前後で日本の社会構造が変化したことを理解できないのである。

 日本の特徴は、政治と社会と文化に天皇が埋め込まれていることだ。天皇制という言葉は、そもそもソ連のモスクワに本部を置いていたコミンテルン(共産主義インターナショナル)が作成した「32年テーゼ」によって普及した概念だ。天皇制という言葉の中に、制度であるから改変可能であるという前提がある。しかし、日本人の社会と文化と天皇(皇統)は、深く結びついており、人為的に改変することは不可能である。このように天皇が日本の社会と文化に深く刺さり、容易に変更できるメカニズムでなく、改変不能なシステムになったのは、後醍醐によるところが大きい。

 この点について、網野氏は以下の指摘をする。〈その「権威づけの装置」の一つとして、儀礼を「家業」としつつ、天皇は江戸時代を通じてその地位を保ちつづけた。なぜそうなったか、南北朝から戦国の動乱の中でなぜ天皇が消滅しなかったのか。これはなお未解決の問題といわざるをえないが、それがさきの権威の構造の転換の仕方に関わっていることは間違いなく、さらにまた後醍醐による「異形の王権」の出現と、その執念が南朝として、細々とではあれ存続しつづけたことに多少とも規定されていることは否定できない。室町幕府がついに南朝を打倒し切ることができず、北朝との合一という形で動乱を収拾せざるをえなかった事実を、われわれは直視する必要がある。室町期以降、天皇家が生きのびた直接の出発点がここにあるとすれば、そこに後醍醐の執念の作用を認めないわけにはいかないのである。〉

本書の画期的な考察

 南朝と室町幕府によって支援された北朝の力関係を比較すれば、軍事的にも経済的にも北朝の方が圧倒的に強かった。万世一系という観点からも、北朝の天皇も、持明院統という正真正銘の皇統に属する。それにもかかわらず、室町幕府は南北朝の統一という形で、王朝分裂を収拾しなくてはならなかった。後醍醐天皇は、死を前にして「玉骨はたとえ南山(奈良県の吉野山)の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕(京都)の天を望まん」と述べた。天皇の御陵は南向きに建てられる事例が多いが、後醍醐天皇陵は、後醍醐の遺言に従って、京都を臨む北向きに建てられている。権力の正統性に死後も固執する後醍醐の姿勢を室町幕府は無視することができなかったのである。

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source : 文藝春秋 2016年7月号

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