戦国時代から続く秘伝のワザが危機に瀕している
いま、日本が誇る「野面積(のづらづみ)」の石垣が危機に瀕しています。野面積とは、採掘した自然石を加工せずにほぼそのままの形で積んでいく石垣の建造技術です。なかでも、近江国坂本の穴太(あのう)という地(滋賀県大津市)に本拠を置く「穴太衆」が独自の技術で築いた石垣は「穴太衆積」と呼ばれ、全国の多くの城で採用されてきました。
ただ、自治体が発注する修復工事の件数や予算は年々減少しています。コスト削減が求められる中で、これまでは石垣の修復をあまり手掛けてこなかった一般の建設業者も入札するようになり、資金が豊富な大手企業が驚くような安い金額で落札するケースもある。耐久性に問題が無ければいいのですが、一度修復しても、すぐに崩れてしまう野面積の石垣も散見されます。
私は穴太衆の末裔で、400年以上前の戦国時代から続く技術を継承してきました。穴太衆が積んだ最初の石垣は滋賀県近江八幡市の観音寺城。その後、戦国時代から江戸時代にかけて、安土城や彦根城、大坂城、江戸城、姫路城など、実に全国の8割に及ぶ城の石垣の建造に携わったと言われています。
現在は、城や神社仏閣の石垣に加えて、京都国立博物館や新名神高速道路など現代の建築物や構造物の外構工事や、個人宅の石垣施工など幅広く事業を展開しています。城や寺社の修復工事が無くなることはないでしょうが、一度修復すれば、長持ちする分、仕事は無くなる。日本家屋の数が減っていることもあり、石垣の需要自体も年々、減少しています。
会社の売上高は、10年前と比べれば半分ほどに落ち込みました。高校生の息子がいるのですが、胸を張って、「後を継いでくれ」と言える状況ではありません。最盛期の江戸時代初期に300人いた穴太衆も、現在残っているのは粟田家1軒のみ。数百年の風雪に耐える石垣を作ってきた伝統の技術は、いま存続の危機に直面しているのです。
2024年は、元日の能登半島地震で被災した金沢城や七尾城に加え、夏に大雨の被害を受けた国宝・彦根城や、岡山県の津山城など、各地で石垣の崩落が相次いだ。穴太衆積の技術をいかにして次代に継承するのか。第十五代穴太衆頭の粟田純徳氏(55)が語る。
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