不都合な事実に目を向ける
100ページ強と短い小説なのに、何度読み返しても新たな発見がある。
舞台は1985年のアイルランド。晩秋からクリスマスにかけての小さな町が、石炭などの燃料を扱う商人、ビル・ファーロングの日常を追うかたちで描かれる。
父を知らずに育ち、そのことで少年時代には心無い言葉を浴びせられたビルだが、母が住み込みの女中をしていた邸宅の夫人の支援もあり、今では「人付き合いがよく頼りがいがある」と町でも「評判」だ。
造船所が閉鎖し、若者が離れていく町での生活は楽ではない。冬は休む暇がほとんどない。だが、ビルは高望みをせず、ささやかなこと(small things)に目を向ける。5人の娘たちの「ささいな」行いに喜びを覚え、夫人の「ささやかな」思いやりの記憶に励まされ、生活が苦しく薪拾いをしている近所の少年の境遇など「小さなこと」への心配りも忘れない。
時代の流れに取り残されたような町は教会を中心に回っており、ビルも中学生の娘2人を修道院の運営する町で「唯一の名門女子校」に通わせていることを誇りに感じている。だが、教会は何でも「新品同様」にして返すと「評判」の洗濯所を運営しており、そこでは婚外交渉で出産した女性たちが過酷な労働を強いられているとの噂もある。
修道女会に石炭を配達中に、小屋に閉じ込められていた少女に遭遇したビルを、修道女は巧妙な手口で牽制してくる。「目をつむるべきこともある」と言う妻を含め、周りも家族のことを考えるように助言してくるが、ビルの心は揺れ続ける──。
本書の表紙に使われている絵画は、ピーテル・ブリューゲル(父)の「雪中の狩人」だ。クリスマスカードの定番でもある、雪の集落や山並みを背景に猟犬を連れた狩人が描かれている16世紀の名画は、一目では取り込めないディテールのきめ細やかさで知られる。つながれていながら「満ち足りたようすで」干し草を食べる乳牛や、膝までアイシングに埋もれたクリスマス・ケーキの小さなプラスチックのサンタなど、細部の丁寧な描写の積み重ねが奥行きのある世界を築きあげている本作の入口として選ばれたのも納得だ。
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