現下の日本人は世俗化しているので、宗教を信じていない人がほとんどだという。確かに現象面ではそうだが、現実には宗教という名称のつかない宗教を信じている人が多い。ビジネスパーソンのほとんどが拝金教か出世教の信者と評者は見ている。子どもを持つ母親の少なからずが「お受験教」を信じている。その背景には、子どもが難関校に進学すれば、将来、社会的評価の高い職業に就き高収入を得られるという認識がある。従って、お受験教も拝金教、出世教の変種とみなしていいと思う。
評者は外務官僚だったので、カネとは無縁だった。だから拝金教の世界についてはよくわからない。ただし、出世教については皮膚感覚でよくわかる。新聞を読んでいても、その背後にある永田町(政界)、霞が関(官界)の出世を巡る闘争が皮膚感覚で伝わってくる。
9月11日、安倍晋三首相は第四次再改造内閣を発足させた。この閣議決定で興味深いのが北村滋内閣情報官を13日付で外交・安全保障政策の総合調整を担う国家安全保障局の局長に充てる人事を決定したことだ。同時に北村氏は、内閣特別顧問にも就任した。内閣特別顧問は内閣官房の規則で「首相から指示を受けた内閣の重要事項について情報提供と助言をする」と定められている。北村氏の権限は内閣情報官のときよりも拡大した。外務省出身で初代局長を務めた谷内(やち)正太郎氏は退任した。ロシアから日本に歯舞群島と色丹島が返還された場合、米軍の駐留がありうるという発言をパトルシェフ安全保障会議書記に対して行い、プーチン大統領を含むロシア要人から警戒されている谷内氏が首相官邸から去ったことも、対ロ関係改善に向けた安倍首相のイニシアティブとクレムリン(ロシア大統領府)は受け止めている。因みにこのとき、北村情報官は独自ルートでクレムリンに「安倍総理は、日本に返還された歯舞群島と色丹島に米軍を展開させるつもりはない。この意思をプーチン大統領に伝える」と内報した。安倍首相がその通りの発言をプーチン大統領に対して行ったのでクレムリンでは「北村は情報のプロだ。信頼できる」という評価が定着している。
外務省の嫉妬
外務省は、「国家安全保障局長は外務省出身者の指定席だ」と考えていた。従って、警察庁出身の北村氏がこのポストに就いたことに落胆するとともに嫉妬の炎を燃やしている。インテリジェンスの内情をよく知らない外務省幹部が「警察庁出身で外交や安全保障の素人である北村氏に国家安全保障局長がつとまるはずがない。北朝鮮やロシアとの交渉で北村が独走して大失敗するのが目に見える」といった発言をオフレコで記者にしている。嫉妬でこのような発言をしているのだが、事実誤認だ。
内閣情報官は日本のインテリジェンス・コミュニティーのトップだ。CIA(米中央情報局)、モサド(イスラエル諜報特務局)、SVR(ロシア対外諜報庁)などの長官が内閣情報官のカウンターパートだ。表の外交で処理しにくい事柄については、インテリジェンス機関が処理する。もちろん秘密裏に行われる外交なので表に出ることはない。北村氏は、秘密外交の世界で鍛えられた外交と安全保障のプロでもある。ロシアのプーチン大統領はKGB(ソ連国家保安委員会)第一総局(SVRの前身)出身なので、秘密を絶対に漏らさないインテリジェンス機関出身者を信頼する。北村氏が国家安全保障局長に就任することでクレムリンの首相官邸に対する信頼が強化されると評者は見ている。
最近の外務官僚は弛緩していて、首相官邸の要請に応えられていない。今回の北村人事の前にも、一部の記者に対して官邸を誹謗中傷することで自己保身を図っている。例えば、朝日新聞の牧野愛博記者が、外務官僚のこんな発言を紹介している。
〈最近ではロシアとの北方領土を巡る政策でも「四島一括返還論」を訴えてきた外務省の主張はほとんど無視されている。外務省関係者の一人は「昔なら課長が政策を仕切っていた。いまは首相官邸の補佐官たちが『首相の関心事項だから』と言って過去の政策との整合性も考えずに局長に指示を出してくる。省内の空気は沈みっぱなしだ」と語る。別の外務省幹部は後輩たちとの会食で「最近の局長は昔の課長みたいだな」と冗談を飛ばしたところ、後輩たちから真顔で「課長じゃなくて、課長補佐なみですよ」と切り返されたという〉(『Voice』2019年10月号)
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source : 文藝春秋 2019年11月号