ナラタージュとは、ナレーションとモンタージュを組み合わせた造語で、主人公の語りや回想によって過去を再現する手法だ。
社会人になって数年経ち、結婚を決めた工藤泉が高校3年生から大学2年生の時に起きた高校時代の社会科教諭で演劇部顧問の葉山貴司並びにその周辺の人々との間で生じた出来事を描いている。
この作品は通常、恋愛小説として読まれているが、その枠に収まらない人間の善と悪、優しさと残酷さ、愛情と憎悪を掘り下げた実存主義的作品でもある。また、工藤泉の精神的成長過程を描いた教養小説でもある。
泉は貴司と初めて会ったときの情景をこう回想する。
〈私が高校三年生のときに、葉山先生は世界史の教師として赴任してきた。/三年生の新学期が始まる前日の日曜、私は部活の練習のために午後から学校へ来ていた。/集合時間が迫っていたので、できるだけ速足で廊下を歩いていた。(略)/そのとき廊下の反対側から先生らしき人影がやって来るのが見えた。私は歩く速度を緩めて、軽く会釈をした。相手も一瞬だけこちらを見て会釈を返した。/よく見ると見覚えのない先生だった。グレーのスーツの下には薄い水色のワイシャツを着ていた。ネクタイは結んでいなかった。/いったん視線を外した後でふたたび気になって顔を上げると、今度ははっきりと視線があった。背の高い人だと思い、ふと床のほうを見ると彼の長い影が伸びていて、もう一度、やっぱり背の高い人だと感じた。当然だが、お互いに交わす言葉もないのでそのまますれ違った〉
泉は映像による記憶に長けている。過去の出来事に関して、写真の一場面が思い出されると、そこから写真が動画に変わる。そして登場人物が話し始める。興味深いのは、初めての出会いに関する貴司の認識だ。
〈だいぶ後になって尋ねたら、彼は私と廊下ですれ違ったことを覚えていなかった。/私のほうだけが彼のことを覚えていた〉
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source : 文藝春秋 2019年10月号