サウジアラビア在住建設技師と再婚し、次女が生まれたが離婚
その後リョウコは、普段はサウジアラビア在住の建設技師と再婚した。そもそもオーケストラを辞めるつもりのなかったリョウコは別居婚を選択。1年ほど生活を共にするものの、やはりサウジに戻ることになった夫のかわりに彼の母親であるハルさんを呼び寄せ、ハルさん、私、生まれたばかりの次女(つまり私の妹)、そしてリョウコとの4人暮らしが始まった。しかし、超遠距離夫婦の別居暮しは長くは続かない。リョウコはハルさんに「離婚が決まってもこのまま一緒に暮らしましょう」と話を付けていたのに、ある日、ハルさんは我々の前から荷物もろとも忽然と姿を消してしまって……!
こんな風に劇的なエピソード満載のリョウコの人生を描いた新刊『ヴィオラ母さん』は、私によるリョウコの観察日記みたいなものだが、自分の母親のことなのに、「こりゃまるで朝ドラみたいだ」と驚いた。
全くブレなかったリョウコの子育て
うちは世間の基準値的に見ればボーダレスな家庭であり、リョウコの子供の育て方も全く一般的とは言い難いもの。普通の家における「お母さんらしさ」はそこに存在してはいなかったし、リョウコ自身も、周りの親子と比較したり、周りと足並みが揃わないのを不安がったりするような様子も一切なかった。だから、この本を読んで、彼女の「母親」としての、それ以前に「人間」としての生き方について、どれだけの方に理解してもらえたり、感情移入してもらえたりするのかはわからない。しかし、私がこうして世界のあちこちを行き来したりしながら、国境のない生き方をするようになったのは、明らかにリョウコという人間を間近に見て育ってきた、その影響によるものだ。
リョウコ自身は「破天荒な母」になろうと思ってなったわけではなかった。『ヴィオラ母さん』の中でも引用したが、母が出産前からつけていた「育児日記」によれば、愛する夫に早逝され、乳飲み子を抱えて心細さと戦っている様子が手に取るように伝わってくる。ただリョウコは、それからも信念を曲げることはなく、私が子供の頃、彼女の働き方について周囲からバッシングを受けても世間に流されず、全くブレなかった。