あの一球があったからこそ今がある
あの日から今日まで、野村と小林は一度も『あの決勝戦』の話をしていないという。
「わざと振り返ってない訳ではないです。みんな先に進んでいるんです。気持ちが次のステージへと」
そう語った言葉通り、野村は『あの一球』があったからこそ、己のコントロールを磨き上げ、制球力を武器に六大学で活躍した。そして、プロ入り後もルーキーとは思えぬ精密な投球術を魅せ、セ・リーグの新人投手としては46年ぶりとなる防御率1点台を記録し、新人王にも輝いたのである。
「やっぱり打たれた最後の球は失投ですし、打たれないためには自分が狙った所にしっかり投げないといけない。あの一球は、速球ピッチャーではない自分の中で『コントロールが無いと勝てるピッチャーにはなれない』と気付いたキッカケとなりました。だから、あの決勝戦、あの一球は、自分のために良い経験だったと思います」
野球少年の頃から夢見ていた遥かなる甲子園。18歳の夏、はからずもその夢の舞台で、野村祐輔は悲運のエースとなったが、佐賀北高でなければ、あの一球がなければ、広島カープの野村祐輔はいなかったのかもしれない。
今年も、全国でたった1校を除いて、球児たちが悔し涙を流した『最後の夏』が終わる。そして甲子園は、また新たな球児の夢の器として輝きつづけ、また新たな白球のドラマを紡ぎ、私たちはそのドラマに自分の人生を重ねる。全国の高校球児の皆さん、今年も感動をありがとうございました。
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