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 私たち患者の立場からすると、どんな疾患でも診ることのできる医師は、映画や小説に出てくるスーパードクターのように思える。しかし実際の医師にとっては、循環器も救急患者の集中治療もできることは「勲章」にならないのだ。それよりも「この手術ができるのは、自分を含めて日本で10人しかいない」といった、「独自の技」を持つ医師のほうが医学界では尊敬される。

「広島市にこの病院が必要だと思うから、愛をもってやっています。ですが、この体制を続けることが、本当に患者さんのためになるかどうか……」

 このままでは診療の質が落ちると西岡医師は繰り返す。

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「たとえば……」と、同院救命救急センター所属の看護師長杉山直子さんが言う。

「胸痛を訴える患者さんが来たとします。胸痛だから循環器専門の医師が診る。でも診察しても循環器系でとくに異常はみられない。もしかすると肺炎かもしれない。診断がつかないと、呼吸器内科の医師につなぐのが大変です。ほかにも意識障害の患者さんが来たとして、低血糖なのか大量服薬なのか、それともまた別の疾患なのか……その診断をつけるのが、専門の先生では並大抵のことではありません。また、いくつかの科が複合しているような症状……たとえば低血糖に肺炎を合併しているとなれば余計にややこしい。やはり、急性期の重症患者の集中治療をしてくれて専門につなぐ、救急に詳しい先生がいるのが理想です」

 たしかに、重症患者の診断と初期治療はたやすいことではない。それは、文字どおり「救命救急」の仕事だ。しかし同院では、軽症を診る救急科にはいる救急専従医が、重症患者を診る救命救急センターにはいない。この点が苦しい事態を招いているのだった。

専門医不在で小児死亡

 ここで、何でも診られる救急医の不在が、不幸な結末につながった事例を紹介しておこう。

 2002年9月、岩手県一関市に住む生後8か月の男児に、1日夜から発熱・下痢(げり)・嘔吐の症状が出た。さっそく同市内の病院で診療を受けたが、3日夜になっても症状が改善せず、両親は救急指定の病院に連絡した。しかし「眼科医しかいない」と断られ、次の病院も応答がなく、他の総合病院でも「整形外科医しかいない」などと断られた。

 このように、救急診療に従事する専門医がいない病院では、各診療科の医師が当番制で救急診療にあたるケースが大半だ。その際、当直医の専門外の症状を訴える患者は断られてしまいがちだ。当直医からすれば、救急要請のある患者に対して「助けたい」気持ちはあっても、ミスをしたくないからと診療に積極的になれないのだろう。

©iStock.com

 男児の両親は、結局、眼科医しかいないという1件目の救急病院を受診した。当直の眼科医は、非番の小児科医をポケットベルで呼ぼうとしたが連絡がつかず、応急処置を施しただけで帰宅させた。しかし翌朝、自宅で男児の呼吸が止まっているのに気づいた両親が119番通報。再び同院に運ばれたが、すでに死亡していた。

「ほかの病院で断られた患者に勇気をもって手を挙げる。しかし結果が悪いと非難される。そうすると一番いいのは、すみませんと最初から診療を断ることです。医者だって訴えられたくありません」

 ある医師はそう話す。似たような例では、新幹線や飛行機で救急患者が発生し、「どなたかお医者さんはいませんか」というアナウンスが流れた場合がある。医師758人を対象としたあるアンケート調査では、「飛行機・新幹線内で救助要請に応じる」と回答したのは、わずか34%。要請に応じた経験のある医師のうち約25%は「今後は応じない」と回答した。

 躊躇(ちゅうちょ)する原因として、医師の89%が医療過誤に対する法的責任が不明瞭である点を問題にしている。業務上過失致死傷罪などで訴えられ、犯罪者扱いされることを危惧(きぐ)しているのだ。