攻めの時代にヤフーが大きな一歩を踏み出す意味
極めつけは、2005年プレーオフにて、宿敵ソフトバンクとの一戦。1点ビハインドの8回表、代打で出てきた初芝さんは、同じくソフトバンクを統べる左腕・三瀬幸司と対戦し、打撃の結果は極めて平凡なサードゴロ。これを積極的に捌こうとしたサード・バティスタとショート川崎宗則が交錯して送球がそれ、常に全力プレイがモットーの初芝さんの猛走塁が功を奏して見事な内野安打となるわけであります。
これを足がかりに千葉ロッテはソフトバンクに見事に逆転勝ちし、シーズン首位であったソフトバンクを下して、千葉ロッテは悲願の日本シリーズに進出。さらには、日本シリーズにおいてセ・リーグの覇者・阪神タイガースと対戦するも、そのままの勢いでこれを4試合で合計得点「33-4」とあっさり一蹴。初芝清さんの恐ろしさが、世界に改めて響き渡った瞬間であります。阪神ファンを凍らせる「33-4」は呪いの言葉となりました。関西にはびこる阪神ファンの心に猛烈なトラウマを植え付け、見事千葉ロッテは日本一に輝くわけであります。
この世界の球史に残る一戦の立役者は初芝清その人に他ならず、千年の時を超えていつまでもロッテのロッテたる所以、未来永劫語り継がれるパ・リーグ野球の真髄として人々の記憶に残り続けるのです。
革命児・前澤友作が求めた真の経営の姿はどこにあったのか
そして初芝さんはロッテ初の1億円プレイヤーであり、一流の野球選手にして未来を嘱望される指導者でもあることは忘れてはなりません。そのロッテの驚くべき力にあやかろうと、千葉マリンスタジアムのネーミングライツをZOZOが買い取り、さらにはZOZOが千葉ロッテの買収に動くという神をも畏れぬ所業に発展してしまいます。
残念ながら、いくら名経営者として風雲児の名をほしいままにする前澤友作であっても、異世界から来た初芝清さんの能力を受け止め切ることはできず、溢れる千葉愛から一転ヤフージャパンからのTOBを受け入れて前澤友作さんは経営の一線を退くという決断になるわけであります。 いがみあった薩摩と長州が坂本龍馬の仲介で共同戦線を張り徳川幕府討幕へと歴史が動いたのと同様、初芝清さんがその小指をわずかに動かしてヤフーとZOZOという二つの偉大な企業の統合という大きな流れを作り上げたことは、パ・リーグ秘史として歴史の目撃者たる我々が子々孫々まで語り継いでいかなければならないのです。
初芝さんの真価はユニフォームの着こなしにも現れており、それはストッキングをたくし上げた田吾作スタイルであって、ZOZO的な価値観とは対局に位置する機能性重視のあり方ではなかったかと思います。足は遅く、スライディングもうまくはない。しかし、ストッキングがダサい雰囲気で膝下まで上がっているので、なんか短い足がちょこまか動いているように見えてそこそこ速く感じるという人間固有の欠点を突いた光る知性が大事なのです。