南アフリカとのラグビーW杯決勝を11月2日に控えたイングランドが、国際統括団体のワールドラグビー(WR)から罰金を科せられた。

 準決勝(10月26日)の相手だったニュージーランドの試合前の儀式「ハカ」に対し、見守ったイングランドの一部選手がハーフウェイラインを越えたというのがその理由だ。WRはハカの最中、相手チームは自陣内にいなければいけないとの規定を設けている。国際ラグビー界において、ハカはそこまで尊重されているのだ。

 だが多くの日本人、特に今大会を機にラグビーに魅せられたようなにわかファンにとっては、「結局、ハカって何?」が正直なところではないか。

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 そこでハカについてのいくつかの疑問を、世界のラグビー文化に精通し、マニアの間で「ラグビー博士」の異名を取るベテランジャーナリスト、小林深緑郎氏に解き明かしていただこう。

©AFLO

【ハカの謎1】ニュージーランド代表はなぜ、いつから、ハカを披露するようになったのか?

 現在、ニュージーランド代表が踊るハカにはマオリ伝統の「カマテ」と、2005年に披露された新作「カパ・オ・パンゴ」がある(そう、いつも同じものを踊っているわけではないのだ)。

 そのうち定番ともいえる「カマテ」は、1905年のイギリス遠征の際に行われたのが最初とされる。だが実は、ニュージーランドのラグビーチームがハカを踊ったのは、この時が初めてではない。

「1888年、マオリ系の選手が主体で白人は数人のみという選抜チーム『ニュージーランド・ネイティブズ』がイギリス遠征をした際、ハカを踊ったという記録が残っているのです」(小林氏)

 しかしこの事実は長年、ラグビーの公式な歴史の中では無視されてきた。というと先住民族への差別意識からと考えるかもしれないが、真相は違う。ラグビーという競技ならではの事情が絡んでいたのだ。

「この遠征はプロの興行師が仕切っていて、選手たちには報酬が支払われていました。そのため、創設以来アマチュアリズムを旨としてきた国際ラグビーフットボール評議会(現在の『ワールドラグビー』)は、正式な遠征として認めてこなかったのです。しかし1995年、時代の波に押されてプロ化が容認されたのを機に再評価が始まり、2008年に同遠征が国際ラグビー殿堂入りしたことで、いわばお墨付きが与えられました。ですから1888年のイギリス遠征で、ニュージーランドのラグビーチームによって初めてハカが踊られたとするべきなのかもしれません」(小林氏)

 ただ1888年、1905年の両遠征で踊られたハカは、現在のように自チームの戦闘姿勢を誇示し、士気を高めるという意味あいではなかった可能性が高いという。

「どうやらその日の観客へのアトラクションとして行われたらしい、という説が有力です」(小林氏)

 つまり事の始まりは、一種の余興だったようなのだ。

J-SPORTSがまとめた「新古今ハカ集」