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NSC(吉本の養成所)の功罪とは?

――実際のところ、近年、弟子入りを志願してきた人というのは、いるものなんですか。

巨人 おるよ。でも、断った。あまりにも頼み方がなってなかったんで。師弟制度というのは、そういう意味では、いちばん最初の入門のお願いは採用面接みたいなもんやからな。とんでもないやつは、そこで弾かれる。ただ、今の時代は、漫才の世界で弟子を取ったという話は、ほとんど聞きませんね。他の会社のことはわからんけど、吉本では聞いたことないな。

 

――NSC(吉本の養成所)がありますからね。

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巨人 そうなんですよ。先ほどあげた勇気が要る3つのハードルは無いし、ただNSCの授業料を払えるかどうか。お金さえあれば、入れるハードルはずいぶんと低くなった。もちろん、今の漫才界の盛り上がりは、NSCのお陰でもありますからね。今年のM-1のエントリー数は5000を超えたと聞きましたが、おそらくNSC出身者がその多くを占めるでしょう。吉本興業としても、弟子から上がってくる芸人を待つよりも、効率はいいですからね。競争も昔よりはるかに激しいでしょうし、その中で生き残る芸人のレベルも上がったと思います。それを考えると、師弟制度の復活は賛成ですが現実的ではないですよね。

「芸人が増えすぎて困っている?」

――芸を磨くのに師弟制度は、あまりいい制度ではないと。

巨人 いや、そんなことはないですよ。ただ、効率の問題を言っただけで。師弟制度でもっともいいのは、師匠の舞台についていって、そのときに漫才を間近で見れるということです。これがいちばん勉強になる。今だったら、和牛とか、アインシュタインとか、銀シャリの舞台を舞台の袖で見れる。それが弟子の最大の特権。一時期、NSCの生徒はNGK(なんばグランド花月)に観に来たらいかんという時代もあったんです。今はそんなことなくなったみたいですけど、それでも簡単にフリーでは入られへんと思います。でも弟子は師匠の立つ舞台には当然のように付いていけますから。だから、あまりにも売れてない芸人の弟子になるのは、やめた方がええやろな。仕事のない師匠を持ったら、先輩芸人の芸は観られませんから。まあでも、やる気のある弟子やったら勝手に劇場に来て、袖で観て勉強できますけどね。

 

――NSCができて、芸人が増えすぎて困っているという話も聞きます。とにかく出番が回ってこなくなった、と。

巨人 それはあるでしょうね。師弟制度のある落語家さんの数は、増えても限度がありますからね。落語家の世界は、昔から受け継がれてきている古典と呼ばれる演目を、師匠から口移し(口伝)で教えてもらうという伝統があります。そこは絶対的なものですから、たとえば、落語の学校をつくって、そこで先生がみんなに教えるみたいなことは成立し得ない。その点、漫才は何をやろうと自由やから。