ここから本題、アートディンクの『ルナティックドーン』

 前置きはこのぐらいにして本題に入ると、そんなアートディンクの神回とはすなわち『ルナティックドーン 前途への道標』である。最高だ。

 伏線はある。まず、システムソフトが自動生成の架空世界で魔王を倒す的な壮大な実験作『ティル・ナ・ノーグ(初代)』がある。これはなかなか傑作であった。次回作は大いに期待されたが、続編は世界観のスケールは倍になったがゲームとしての完成度は半分になって失敗作に終わってしまったものの、自動でストーリーが組まれ、プレイヤーが自由に世界を構築できて魅力的な仲間と共に漫遊するという仕組みは非常に秀逸であった。

 その後、満を持して登場したのが『ルナティックドーン(初代)』である。こちらも自動生成のマップで構成され、とにかく大容量のデータを使うゲームだということで高い期待を集めた意欲作だったが、ゲームという点ではとても遊べたものではなかった。何しろ、マップの端から端まで歩くのに8時間以上かかる。適当にランダムで作られた王国はどこも常に滅亡の危機に瀕していて、王子は王を裏切り、姫は必ずどこかに誘拐されていて、山という山は噴火していて、すべての酒場には闇の紳士が常駐しているのである。こんなファンタジーは嫌だ。

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初代「ルナティックドーン」は夢がいっぱい詰まっていても現実は厳しいということを私たちに教えてくれた

 そして、うっかり王国に踏み入りクエストでも受任しようものなら、容赦なく「さらわれた姫を救出して欲しい」とか言われるのである。初めて会った人に頼むべき仕事とはとても思えない。もっとこう、小さなクエストをいくつもこなして信頼関係ができてるとか、偉そうな魔物を倒した武勇伝を聞いて頼む気になったとか、そういう前振りがあってほしいのである。

壮大すぎる世界に比べて……

 しかし『ルナティックドーン』の世界は容赦はしない。常に本番なのである。仕方なく王国の依頼を請け、怪物を倒し、ついに「さらわれた姫」を救出した。やったぞ母ちゃん。これでワイは英雄だ。その「姫」を連れて王国に凱旋してみると、いつの間にか頼んできていた王国は滅亡しており、そこには別の王国が建国されているのである。何それ。困惑を隠せない。どういうことなの。行き場のなくなった「姫」は、キャラクターの持ち物欄に記載されており、そのまま街の道具屋に「姫」を売り払って換金しましたとさ。めでたしめでたし。

 私は素晴らしいゲームだと思うのだが一般的にこんなゲームがウケるわけねえだろ。

 なんだ、壮大すぎる世界に比べて仕上がってない感じで破綻したゲームシステムは。この期待感と、ハードディスク容量と、世界を探検するのにかかった時間を返せ。そんな風に考えていた時期も俺にはありました。

 そんな『ルナティックドーン』シリーズの続編として出たのが『ルナティックドーンII』である。ここでルナティックドーンは驚異的な進化を遂げる。何故進化したのかというと、ちゃんとゲームになっているのである。面白い。おお、これぞファンタジーだ。マップは大幅に改められ、ポインティングで移動でき、仲間との信頼関係もリーズナブル、信頼を高めていくとやがて国王になるクエストが開かれる。やればできるじゃないかアートディンク。こういうのを待ってたよ。

「ルナティックドーンII」のキャラメイク画面。このわくわく感はPCゲーでもTRPGでも一緒です