文春オンライン

わたしの「神回」

私のゲーム人生は『アートディンク』が作り上げた

私のゲーム人生は『アートディンク』が作り上げた

そして、神は「ルナティックドーン 前途への道標」を我に与えられた

2020/05/08
note

時代はパソコン通信からオンラインへ

 やがて時代はパソコン通信を超えてオンラインが当然の時代となり、元祖超傑作MMOとも言える『ウルティマ・オンライン(UO)』が登場するまで、スタンドアロンPCゲームは私の中ですべての人生の時間をぶっ込んでも惜しくない存在であり続けたのである。『UO』や『エバークエスト(EQ)』の話をし出すと10万字では語り尽くせないのでここでは触れない。

 一方、私が子どものころは、著作権が緩い時代であった。いや、緩いのではない、それが何たるかをまったく認識していなかったのである。

 渋谷にある「ゲームソフト貸し出し屋の『マックスロード』」という、いま思い返せばどう考えても適法性が怪しいでござると思える店に、学校や塾の帰りに毎週足を向けてはめぼしいゲームソフトを漁り、『WiZARD』や『File Master』を駆使してコピープロテクトを破って「いや、これは違法コピーではない、ゲームソフトのバックアップなのだ」と言い張り、中学生・高校生のときはコンピュータオタク野郎の集う「数学研究会」の先輩や同期、後輩と片っ端から買ってきたりどこかから調達してかき集めてきたゲームというゲームをやり倒した。

ADVERTISEMENT

写真はイメージ ©︎iStock.com

 広尾に住む先輩の家に「数学研究会の会合」と称して入り浸り「大戦略」対戦ばっかりやっていた。

 また、当時はまだ建て替え前の秋葉原ラジオ会館のうえのほうにNEC(昔は普通に日本電気だった)のショウルームがあり、PC-6601から高価だった98シリーズまで当時の新鋭機種が使い放題であった。そこに目を付けた我々は、後輩を連れて光栄『三國志』シリーズの多人数プレイに興じた。学校中のパソコン野郎の間では『三國志』と『信長の野望』『蒼き狼と白き牝鹿』は共通語となり、かの「オルド」がセックス子作りコマンドであることにも気づかないまま、ピュアにゲームを楽しんでいたのだ。

『三國志』シリーズでは『三國志V』がバランスの取れた最高傑作だと思います。同盟による研究で陣形が強くなるのだけは理不尽だけど