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 制度的人種差別の最終地点は、死だ。ジョギング中に「怪しい」と射殺された黒人青年、コンビニにジュースを買いに行き、帰途、「怪しい」と射殺された黒人の高校生、公園でオモチャの銃を持っていたために、問答無用で射殺された黒人の中学生......ごく当たり前の日常生活の行為が、制度的人種差別によって生成されたステレオタイプで「怪しい」「危険」と見做され、黒人はいとも簡単に殺されてしまうのだ。 

「息ができない」者たちの最後の手段 

 先述したように、1964年の公民権法により人種差別はようやく違法となった。しかし社会のシステムと人の心にはびこる差別心が法の制定によって急に無くなるはずはなく、あらゆる黒人差別が続いた。耐え切れなくなった黒人たちは全米で暴動を起こした。特に1967年の夏は多くの暴動が発生し、「長く暑い夏」と呼ばれた。中でもデトロイトの暴動は苛烈を極め、死者16人、負傷者約500人となった。 

 この年、公民権運動のリーダーであったキング牧師は、「暴動は耳を傾けてもらえない者の言葉である」と語った。 

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 どれほど耐えても、どれほど訴えても差別が無くならず、同胞が次々と殺されていくならば、人はどうすればいいのだろうか。ジョージ・フロイド氏が亡くなった翌日のデモは、当初は平和的だった。だが、人々は感情の噴出に見舞われたのだろう。かつ警官がデモを阻止しようとしたために、「また今度も耳を傾けないのか!」と感情を爆発させてしまった。 

 フロイド氏は「I can't breathe!」(息ができない!)と、何度も何度も訴えた。しかし、白人警官デレク・ショウヴィンは聞く耳を持たなかった。手錠を掛けられ、地面にうつ伏せに押さえ付けられていたフロイド氏には為すすべが無く、死んでしまった。 

©getty

すでに12日間続いている暴動

 今、全米でデモを繰り返している何千、何万もの人々は暴動を起こして警察やシステムに報復をしようとしているのではない。「耳を傾けて」と訴えているのだ。1967年の暴動は、最長のものでも7日間だった。今回はすでに12日間続いている。

 そもそも暴動や略奪はプロテスト(抗議)の副産物だ。人々が目指し、行なっているのは、あくまで現システムへのプロテストなのだ。このプロテストは、誰かが正面から「あなたたちの話を聞こう」と言うまで続くだろう。 

 6月5日、デモ隊(※)はホワイトハウスに続く道に黄色いペンキで巨大な「BLACK LIVES MATTER」の文字を書いた。航空写真ではっきりと見えるサイズだ。ワシントンD.C.のミュリエル・バウザー市長は、その通りを「ブラック・ライヴズ・マター・プラザ」と改名し、道路標識を掲げた。 

※……「BLACK LIVES MATTER」の文字はワシントンD.C.のミュリエル・バウザー市長の提案により描かれた

 翌日、ホワイトハウスに押し寄せるデモ隊に恐れをなしたトランプは、1万人もの兵士の配備を要請した。トランプに「耳を傾ける」気は、全くないのである。 

ホワイトハウス前に立つ警官 ©getty

2020/6/25 18:00、読者より指摘があり3Pにデモ隊に関する注を加えました。