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チャーチルの影響を強く受けたボリス・ジョンソン

 子どもの頃から「チャーチルの伝記を穴が開くほど眺め、写真の説明文まで暗記した」という英首相ボリス・ジョンソン(1964~ 、首相在任2019年~ )は自らもついに書き上げたチャーチルの評伝のなかで、次のように語る。「マルクス主義の歴史家たちは、歴史とは巨大で非人間的な経済の力によって形づくられるものだと考えている。チャーチルはこうした考えに対する生きた反証だ。『チャーチル・ファクター』、つまりチャーチル的要素とはつまるところ、『一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る』ことを意味する」。

 ジョンソンも指摘するとおり、1940年に首相に就くまでのチャーチルは、党籍を2度まで換え、ドイツとの和解にも水を差す「日和見主義者、裏切り者、ほら吹き、利己主義者、人でなし、恥知らず、下劣な男、性質(たち)の悪い酔っ払い」として政界で知られていた。まさに「悪党」以外の何ものでもなかった。しかし続けてジョンソンは、ではもし「チャーチルがいなかったら」世界はどうなっていたのか、おそらくイギリスはナチスの軍門に降り、その後の世界史は大きく変わっていただろうと断言する。自らも「ブレグジット(イギリスのEU離脱)」という未曾有の危機のなかで首相になった人物による評価だけあって極めて興味深い。

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言葉や態度の端々にも無意識に現れるチャーチルの帝国意識

 実際に、チャーチルではなく、仮にハリファクスが首相になっていたら、早々にヒトラーとの講和が実現し、ヨーロッパもイギリスもドイツの衛星国にされていたことだろう。その後の歴史がどう展開したかを想像するのは難しいが、当時の孤立主義の風潮が強いアメリカがそう簡単にヨーロッパのために動いたとは考えにくい。本章の主人公チャーチルも、アメリカをヨーロッパの戦争に巻き込むためにどれだけ苦労したことか。

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 もちろん第2次大戦での戦争指導だけでチャーチルを評価するわけにもいくまい。本章の冒頭でガンディーが批判したとおり、チャーチルは生粋の帝国主義者であった。そうした帝国意識は言葉や態度の端々にも無意識に現れてしまうものである。1954年夏にバミューダでアイゼンハワー大統領と会談した際、アジア・アフリカの植民地諸国に独立を与えては、と言われたチャーチルはすかさずこう切り替えした。「ホッテントットによる普通選挙などというものには少々懐疑的である」(ホッテントットはアフリカ原住民に対する蔑称)。

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