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ある程度法則化できた、と思ってもさらにその先があります。それまで自分が見落としていた地域のカレーに触れると、それまでの理論では解釈不能な「魔法」に再びぶち当たるのです。そしてその魔法をまた理論体系に取り込み……ひたすらその繰り返し。
さらに恐ろしい事には、そうやって理論立ててカレーを作っていても、時にそのカレーは予想もしていないおいしさに着地する事があります。何故そうなったかがわからない、それは一周回って魔法のようです。こうなったら「沼」です。一度ハマったら抜け出せない底なしのカレー沼。
カレー作りは「人類数百年の営みを追体験しているようなもの」
スパイスからカレーを作る、という事を始めると、誰もが多かれ少なかれこういう体験をする事になります。それは言うなれば、ルネッサンス期から地理的発見を経て近代科学に至り、そしてその科学の限界をも目にするにまで至った人類数百年の営みを追体験しているようなものです。
そしてその追体験のために必要なスパイスやカレーに関する情報は、本やネットを通じて、一昔前よりはるかに容易にアクセスできるようになっています。これがブームというものの凄さ、そして豊かさと言えるでしょう。
科学と民俗学と魔法を行ったり来たりしながらスパイスカレーを作りはじめた民から見たカレーは、そうなる前とは同じカレーでも全く見え方が変わってきます。正直、(スパイスカレーなんて作らない)普通の人にとって、彼らのカレー語りは何言ってるかさっぱりわからないことでしょう。
もしこの事が「面倒くさい」と評されるのであれば、スパイスカレーの民はそのまま堂々と面倒くさくあれ、と僕は思います。