1970年代に多く建設された都市部郊外のニュータウン。そのニュータウンが現在、住民の減少と高齢化に悩まされている。その理由は家がそれを買った親世代の一代限りのもので、息子や孫が家に引き続き住まないからである。一時期に集中して分譲され、その後街にやってくる新住民がいない状況が続くと、街は高齢化し、活力を失っていく。

(写真はイメージ)©️iStock.com

 そんな状況に陥るニュータウンが多い中で、奇跡的に今でも成長を遂げている街がある。千葉県佐倉市の「ユーカリが丘」だ。

「成長管理」型のデベロッパー山万が開発

 ユーカリが丘住宅地は1971年に、デベロッパーの山万によって開発が始められた。山万という会社は、もとは大阪の繊維問屋であったものが、1965年に本社を東京に移転、以降住宅開発分譲業に進出したという変わり種だ。

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 山万は1979年からユーカリが丘の分譲をスタートさせるが、その開発手法は大変ユニークなものだった。多くの自治体や民間宅地開発業者は、開発して分譲してしまったら「はい、おしまい」という「分譲逃げ切り」型のビジネスモデルであるのに対して、山万は長期にわたって住宅を少しずつ分譲していく「成長管理」型ともいえるビジネスモデルを採用したのだ。新規住宅分譲は、年間200戸程度に抑え、分譲地全体の年齢構成や街の発展の度合いに目を配りながら、街そのものの運営をしていくのが山万スタイルの開発だ。

山万ユーカリが丘線1000系「こあら2号」(c)時事通信社

山万の環境負荷の少ない街づくり

 ユーカリが丘は、東京都心からは京成電鉄を利用して、「ユーカリが丘」駅まで50分ほどかかる。普通のデベロッパーであれば、ここに広がる広大な住宅地に住宅を一気に分譲し、住民たちは、市営のバスや乗用車などで駅にアクセスすることになるが、山万は住宅を分譲するだけでは飽き足らない。住宅地内を循環するAGT、山万ユーカリが丘線を自前で敷設し、駅から各住戸への利便性を向上させた。デベロッパーが鉄道を持つことは異例中の異例。敷設にあたっては当時の運輸省が難色を示したというが、82年の開業以来、人身事故もなく住民の足として定着している。当初は開発地である佐倉市が市営のバスを運行する意向を示したが、環境問題を理由に山万は市の申し出を断ったという。そのうえでAGTの補助交通機能として、早稲田大学や昭和飛行機工業などと共同で、日本初の非接触充電型電気コミュニティバス「ここらら号」の運行を開始する。