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ホリエモン、のりピー、秋葉原事件…… 裁判を描きながら考えたこと

――法廷でスケッチできる時間は限られているんですか?

池田 僕のときはだいたい5分から10分でした。オウム裁判の時は各メディアが雇った法廷画家が20人くらいいたんです。それを1つ、あるいは2つの席で回す。タイムキーパーがいて、時間が来たら次の人と交代。それで上の階に行って清書して、記者さんに渡す。記者も忙しいので、渡したそばから目も合わせないで「お疲れさま」って持って帰っちゃう感じのときもありましたね。もう、ドタバタなんですよ、法廷画の現場って。

2003年10月30日付朝日新聞夕刊より

――スケッチする場所は、傍聴席と同じ側なんですよね?

池田 そうです。なので、そこから見える表情や情報をできる限りスケッチして、清書の時には「裁判官の側から見たらこうだろうな」と想像したり、傍聴を続けていた記者から「こんな仕草をしていたよ」という話を聞いて、イメージを付け足しながら描いていくんです。特に朝日新聞は他紙と差別化したい思いもあってか、もっといろんな角度で描いてとリクエストがあったので、よりドラマチックになるように上からの俯瞰図にしたり、アップにしてみたり、けっこうデッサン力が試されましたね。

――ちょうど裁判員制度が始まる時期にも法廷画を描いていますね。

池田 裁判員の方々にも、いろんな思いが錯綜しているとは思うんですが、心の内を描くことはできないですよね。緊張もあるかもしれませんが、みなさん感情を表に出さないように努めているような雰囲気を感じました。

池田さんによる裁判員裁判を描いたスケッチ 

――それにしても、いろんな裁判を描かれています。マンションの耐震強度偽装事件の姉歯秀次被告、西武鉄道株事件の被告となった堤義明元会長、大相撲八百長裁判で東京地裁の証言台に立った現役横綱時代の朝青龍とジャーナリストの武田頼政氏、秋葉原事件の加藤智大被告、ライブドア事件の堀江貴文被告、覚せい剤取締法違反の酒井法子被告、保護責任者遺棄致死などの罪に問われた押尾学被告……。

池田 そういった大事件の裁判は、ほんの一瞬傍聴席にいただけという感じで、ほとんど裁判のことは覚えていません。ただ、新聞社からゆっくり傍聴して描いて欲しいと言われた裁判もありましたし、自分からすすんで聞いた裁判もありました。

池田さんが描いた法廷画。左上から時計回りに押尾学被告、堤義明被告、酒井法子被告。朝日新聞より

――たとえばどんな裁判ですか?

池田 少年が母親を殺してしまった事件の裁判とか、新潟少女監禁事件とか、オウム裁判ではVXガスを使った襲撃事件の裁判ですね。ただ、法廷画家の経験や裁判を傍聴した経験が、自分の作品にどう影響しているか、と聞かれると難しいんです。法廷の世界と、僕が描いている世界はお互い関与しないというか、違うんです。法廷が法と社会の人間世界であるなら、僕の作品は無秩序と混沌がある自然界をテーマにしていると思っているので。

池田さんによる法廷画。秋葉原事件の加藤智大被告を描いたスケッチ

陸前高田で聞いた「津波で海がきれいになった」という言葉

――池田さんの作品にある「自然」には、生い茂る自然とともに、朽ちていく自然もあるように感じます。たとえば、『再生』という作品は、伊豆を訪れた際に見た座礁したタンカーが波に洗われている様子に着想を得たそうですが、朽ちていく船体の表面に、サンゴなどの新しい生が付着している姿をモチーフにしています。

池田 そうですね、生と死は背中合わせであるというのは、僕の中で変わらないテーマなのかもしれません。『予兆』という作品を描いている時には父方の祖母が亡くなり、祖母が仏さんに連れられて上へ昇っていく様子を描き込みましたし、『興亡史』は母方の祖母のお葬式の様子を描いたものです。新作の『誕生』も制作期間の間に亡くなった人のことを思いつつ描いた部分もあるし、逆に自分に子供が生まれたこともあって、「生」という意味合いも込めているところがあります。

 そういう意味で、僕、震災後の陸前高田で乗ったタクシーの運転手さんに言われた言葉が忘れられないんですよ。

――どんな言葉なんですか?

池田 「津波で海がきれいになった」って。海底が全部きれいにさらわれて、海が新しく生まれ変わったということですよね……。多くの人が亡くなった、言葉にできないほどの震災ですが、大災害を経てなお生まれる命や再生というものが確かに存在するということを、あのタクシーの運転手さんに教えてもらったような気がしています。 

自作「誕生」を鑑賞する池田さん