19歳で罪を犯した永山は22年間の獄中生活の後、そして40歳で死刑が確定された。しかし、ここで坂本は憤りながらもこんなふうに思っていた。

「最高裁の判決は驚きましたよ。刑務官は永山本人を見ているわけですから、こんなことがあっていいのかと。でも私も含めて現場の刑務官は、永山則夫は死刑が確定しても執行はされないだろうと思っていました。遺族に償いをし続けていたこういう死刑囚はかつていなかったわけです。そんな人間を相手に、死刑執行はしない、できないですよ。

 犯行当時、19歳で責任能力があるか無いか。ネグレクトを受けていた彼の知的レベルは中学生くらいですよ。そして今は40歳だと言われてもそのほとんどは獄中ですからね」

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坂本敏夫氏 ©文藝春秋 

 永山は自らの小説の印税を被害者遺族に送るだけではなく、社会の最下層で教育を受けずに労働を余儀なくされているペルーの子どもたちのための基金に使っていた。貧困に置かれ、無知の涙を流した自分のような者を二度と生まないために教育による解放を願ってのものであった。執筆はひたすら贖いのために続けていた。

 もちろん、寄付や贖罪があったからといって、罪がなくなるわけではない。だからこそ、一生ひたすら償い続ける姿勢を、永山はとり続けたのである。死刑、無期懲役、そして再び死刑、と自らの命と尊厳を弄ばれるような、刑の変遷にも何ら影響をされることなく粛々と文字を書き連ね続けていた。

 そんな姿を見ていた刑務官たちも「死刑確定はしても永山は殺されない」と考えていた。なぜなら、法務省が死刑執行の命令を出さずに獄死を待っているとしか思われない死刑囚が何人もいるからだ。