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「出所後も怒羅権の仲間と交流する。それでも犯罪はしない」なぜ元幹部は“半グレ”に戻らず更生の道を選んだのか?

『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』#6

2021/03/20
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「あおり運転」されて、相手の運転手を取り押さえ…

 ことの発端は、葛飾区で仲間4人と車を走らせていた際にあおり運転をされたことでした。かなりしつこくあおられたので直接話をしようと思って車を停めると、相手も停車しました。しかし仲間全員で相手の車を囲んだところ、こちらの人数に恐れをなしたのか急発進したのです。この際に仲間が1人ひかれそうになりました。怒りを覚えた私たちは映画のカーチェイスのように相手の車を追いました。

 結局、袋小路のようになった場所まで追い詰め、捕捉しました。運転手以外の連中は蜘蛛の子を散らすように逃げましたが、運転手だけは脱出に手間取っており、取り押さえることができました。

 まず運転席からカギを引き抜き、投げ捨てました。そして全員で運転手を囲み、殴りました。ただ、彼は運転席から頑なに出ようとしなかったので、スペースが限られており、全員同時には殴れません。私は手持ち無沙汰になったのでぶらぶらしていたのですが、後部座席を覗くと缶ビールや菓子などが転がっていたので、それを飲み、食べました。

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 おそらく300円程度の品ですが、このせいで容疑に強盗がついてしまいました。

 このように順を追って説明すれば明白なことですが、私たちが相手に暴行を働いたのはあおり運転に対する仕返しであり、強盗をするつもりなど毛頭なかったのです。

©️藤中一平

未成年の私が「強盗」の主犯に

 突如降って湧いた強盗という容疑に、私は不安を抱いていたように思います。それは私自身に対する不安というよりも、他の仲間を念頭としたものでした。私は未成年でしたが、ほかの4人は成人しており、罪状に強盗が加われば重い実刑をうける可能性が高かったのです。

 ならば未成年である私が言い出しっぺ、つまり、主犯として犯行に及んだと供述すればそれを回避できるのではないかと思うところもあったのですが、まだそうした経験が浅い私にとってそれが正しい判断であるかどうか判然とせず、心細い気持ちになっていました。

 そんなときにやってきたのが石井先生でした。

 このときの体験はとても印象深く記憶に残っています。対面し、無言で向かい合っていたのですが、真夏なのに先生はかばんの中からアイスクリームを出し、私に差し出したのです。先生は「食べて大丈夫」と言いました。

 面会中に食べ物を渡すことはおそらく禁止されていたはずですし、面会室のドアからは係の者がこちらを窺えるようになっていました。しかし、係の者の視線は先生の背中で遮られ、私が何をしているかわからないのです。アイスはまだ冷たく、甘くて、私はとてもほっとしました。この時期にはすでに暴力や犯罪が日常になっていましたが、やはりまだ子どもだったのだと思います。

汪楠氏 ©️藤中一平

 先生は私の話をしっかりと聞いてくれて、いろいろと私の身を案じてくれました。

 私は結局、自分で考え、この強盗事件は私が言い出しっぺであると供述しました。先生は「本当ですか?」と尋ねましたが、私の発言を受け入れてくれました。もしかしたら私がどういう考えだったのかを理解した上で、その判断を尊重してくれたのかと今では思います。

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