文春オンライン

「出所後も怒羅権の仲間と交流する。それでも犯罪はしない」なぜ元幹部は“半グレ”に戻らず更生の道を選んだのか?

『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』#6

2021/03/20
note

「地元の葛西には戻らず、東村山に居を構えた」

 出所をして、まっとうな社会生活を営める自信はありませんでした。私にとってのまっとうとは、犯罪を犯さないことです。犯罪の世界には戻らないということは心に決めていました。

 地元の葛西には戻らず、東京の東村山市に居を構えました。地元の葛西には怒羅権の仲間やヤクザの知人が多く、すぐにでも交流することができました。やろうと思えばシノギも簡単に始められたでしょう。余談になりますが、岐阜刑務所を出たときは、複数のヤクザ組織から勧誘のはがきが届いていました。房まで届けるわけにはいかないので、出所のときにまとめて渡されるのですが、膨大な数になっており苦笑しました。そうした誘惑を断つために縁のない土地が必要だったのです。

 最初の1年間、さまざまなことをやりました。ホームレス支援などのボランティア活動のほか、残留孤児の問題や、障害者・精神疾患の人々の暮らし、沖縄、憲法改正といった市民運動にも関わりました。ただ、何をすればよいのかずっと迷っていました。(略)

ADVERTISEMENT

汪楠氏 ©️藤中一平

 出所後の人生の方向性を決定づけたのは、石井先生の一言でした。

 手紙や面会で、差別やいじめ、刑務所内の問題、更生の難しさなどを何度も議論していましたが、あるとき彼女はこんなことを言いました。

「君は問題提起をしたけれど、問題解決をしていない」

 確かにそのとおりでした。

 私は支援者の人々に、なぜ自分が社会に対して反発したのか、自分がどんなことを思っていたのかを理解してもらうべくたくさんの手紙を書き、語ってきました。行き場所がなかったこと、犯罪以外で生きるすべがなかったこと、理解者の不在。また、少年院でも、刑務所でも、そこにいる人々が更生できるプログラムにはなっていないことも大きな問題でした。

 自分は社会に何をして欲しかったのか、それを自分でやることにしたのです。

©️藤中一平

受刑者はなぜか「カエル」を作る

「ほんにかえるプロジェクト」を立上げたのは2015年9月のことです。本の寄付を募って数千冊の蔵書を集め、そのリストを全国の受刑者に送って希望の本を差し入れするという活動を行うボランティア団体です。

 名前の由来は、刑務所の土木作業でセメントが余ると刑務官に「好きにしていい」と言われることがあるのですが、なぜかカエルをつくる受刑者が多いのです。皆どこかに帰りたいのかなと思ったことが印象に残っており、それに因みました。

 多くの受刑者は社会で孤立し、塀の中でも孤立したままであることが多いです。そうした状態では更生したいという心情は生まれづらいものです。だからこそ、面会や手紙のやり取りで社会とつながっているという実感を持つことが何よりも大切になります。私の団体では本を送ることで、その人を思っている人間がいることを伝えるのを目的にしています。(略)

 本を送ると手紙をもらうことがあります。必ず返事を書きます。面倒ですが、絶対に手書きにするようにしています。その手間こそが大事だと思うのです。そうやって交流を続けると、やがて受刑者の書く内容が少しずつ変わっていきます。

関連記事