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怒羅権の代弁者として

 なぜ私が代弁者として選ばれたかといえば、主に理由は2つ挙げられます。

 1つは浦安事件があったとき、怒羅権関係者が取材を受けたのですが、私もインタビューに答えた1人です。私は人前で話すことが得意で、みなが思っていることをわかりやすく伝えることができます。現在でも一部の怒羅権メンバーは取材を受けることに批判的ですが、多くの者が汪は自分たちの言いたいことを代弁してくれると思ってくれているので、こうして公の場で言葉を発することができるのです。

 もう1つは、私の怒羅権内での立ち位置です。

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 怒羅権のシノギは人によってさまざまですが、メンバー同士が手を組んで何かをすることが多かったように思います。メンバー同士でシノギをやっていると、どうしても利害関係が生じることがあります。ときにはそれが自由な言動を制限することにも繋がります。

汪楠氏 ©️藤中一平

 しかし私は怒羅権とは無関係の人間を使って独立したシノギをしていたので、そうした利害関係から無縁でいられたのです。これは幸運なことでした。先述の通り、怒羅権の仲間同士でシノギをするケースは多かったのですが、バブルが崩壊して景気の悪化が始まると金銭面でのしがらみで人間関係のトラブルが起こるようになったからです。

 私がそうしたシノギの方法を厳守したのは、ヤクザの時代に組長から受けた教訓があったからだと思います。

 この世界で生きていくには、支出の見せ方が肝心なのだと教えられていました。ひらたくいうと、たくさんお金を持っていることを見せるのではなく、たくさんお金を使っていることを見せることが重要なのです。これはもちろん自分の経済力の誇示になりますが、同時に「これだけお金を使っていればそこまでお金が残っていない」と示す役割もあります。

 無駄にお金をもっていることを周囲にひけらかす行為は、調和を乱す行為です。そもそも前提として、銀行強盗のような犯罪をするよりも、金をもっている犯罪者をさらったほうが手間もかかりませんし、安全です。身を守るため、調和を守るためにも、シノギは秘匿するのが鉄則なのです。

古参メンバーとしての責任

 さらに、私が2000年に逮捕され13年間も外界と隔絶されていたのも大きかったと思います。この13年間は、犯罪界でも不況が本格化して、同じ組織内でも関係が悪化した時期でした。つまり、この時期に刑務所にいたことでそうしたしがらみと無縁でいられたのです。

 だから古参メンバーの中でも特に私は怒羅権をファミリーとして捉える、ある意味で原理主義的な考え方が強いのだと思います。そして、そうした考え方をしているからこそ、怒羅権の他のメンバーを代弁する役割を任されることにつながったのだと思います。

汪楠氏 ©️藤中一平

 いじめに対抗するために生まれた怒羅権ですが、今振り返れば私たちには選択肢が少なすぎたのです。あの頃は暴力でしか物事を解決できませんでした。しかし、成長した現在ならば自明なことですが、別の方法もあったはずです。

 それと同じように、現在犯罪集団として認知されている怒羅権ですが、犯罪をせずとも若いメンバーたちが生きていける仕組みはどのようにつくればいいのか。この問題を次の世代に持ち越さないために何をすればいいのか。それを考えていくのが私たち古参メンバーの責任なのだと思います。