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「出所後も怒羅権の仲間と交流する。それでも犯罪はしない」なぜ元幹部は“半グレ”に戻らず更生の道を選んだのか?

『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』#6

2021/03/20
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心掛けているのは「更生しろ」と言わないこと

 最初は「更生したい」「真面目になりたい」といったことをみんな書きます。でも、1~2年経って心をこちらに開いてくれるようになると、手紙の文面にはむしろ迷いが出始めます。「更生したいと最初に言ったけど、どうだろう、自分は更生したいのかな、できるのかな」というようなことを書いてきます。迷うのは当然で、それは本音ですから、本音を言ってくれるだけ距離が縮まったということです。だから迷いはむしろ前進なのだと思っています。

 この活動で私が心がけていることは、更生しろとは言わないことです。更生しろと言われ続けて更生できなかった人たちだから刑務所にいるのです。そもそも、親兄弟に言われて聞かないのに、顔も見たことのないボランティア団体から更生しろと言われても聞くわけがありません。その代わり、「自分がどう生きるか、どういう人間になりたかったのか、もう一回思い出して、考える時間はいっぱいあるから頑張ってくださいよ」といったことを伝えます。(略)

汪楠氏 ©️藤中一平

 楽ではありませんが、こうして多くの人々と活動を続けていると、受刑者のためであることはもちろん、自分自身の更生、自分自身の人生のためにやっているのだと強く思うのです。

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「怒羅権」をどのように変化させるべきか

 刑務所から出た後も、私は怒羅権の仲間と交流があります。その時点で私を半グレという人もいます。しかし、それは違います。私は犯罪をしません。家族と連絡をとるように仲間と連絡をとっているだけです。

 現在、怒羅権のリーダーたちと話をしているのは、どのようにして怒羅権を変化させていくかということです。

©️藤中一平

 私が出所してしばらく経った頃、怒羅権の中で汪を組織に戻すという話が出ました。しかし、私は組織には戻らず、世間に向けて怒羅権や私自身がどのような経験をしてきたのかを代弁していきたいと訴えました。反対はありましたが、その意見が認められ、私は一般人として代弁者の役割を担うことになりました。

 代弁者の役割とは、怒羅権が誕生した経緯や初期メンバーの思いを世の中に周知していくことです。日本人のいじめに抵抗するための自助グループだった怒羅権が犯罪集団へと変質してしまったことは、私以外の幹部たちもやはり不本意なのです。結果として近年、私は怒羅権の初期メンバーという肩書きでテレビや雑誌の取材を受けることが多くなりました。(略)