中国の言論状況がまだ比較的自由だった胡錦濤時代(2002~12年)、私はかの国のネット世論のウォッチを好んでいた。
当時は強い反日感情を持つ中国版のネット右翼「憤青」たちが幅をきかせた時期だ。小泉純一郎ら同時期の日本の首相や、往年の中国侵略の主犯とみなされた東条英機に対する憎悪の激烈さには舌を巻いた。
だが、しばらく眺めているうちに、彼らの「反日」言説には、天皇への言及がきれいに抜け落ちていることに気づいた。これは当時、ネット世論のみならず中国側の大手メディアでも見られた傾向だった。
歴史問題を抱える近隣国のなかでも、中国と韓国の大きな違いは、こと天皇や皇室に対する姿勢にありそうだ。そんな気づきをいまだに覚えている。
中国の指導者の多くが、日本の天皇に一定の尊敬を持ち、またそれゆえに天皇の政治的利用価値を強く意識してきたことは、おそらく近年までの中国人の日本観や天皇観に小さからぬ影響を残してきた。
ことに中国の場合、日本やアメリカ・ロシアなど特定の大国に対する国民感情は、社会の各時代の指導者の気質や政治情勢により大いに左右されるのだ。
本書『マオとミカド』は、そんな近現代中国の為政者たち――すなわち蒋介石・毛沢東・周恩来・鄧小平らを中心とした大物たちの、天皇観の形成過程と、それが各人の政権の外交政策にいかなる形で表出したかを「縦糸」にして紡がれた、重厚なノンフィクションである。
いっぽう、本書の「横糸」は、各時代においてハイレベルの日中交流・交渉に携わった日本人たちだ。
その顔ぶれは外交官、「支那通」軍人、さらには中国にわたった日本人共産主義者にいたるまで幅広い。多種多様な人々にスポットライトを当てた点が、本書の内容を極めて豊潤なものとしている。
なかでも日中戦争中、中国共産党が拠点を置いた延安に滞在していた日本共産党幹部の野坂参三は、中共側指導部からも一目置かれる存在であった。
野坂は当時の日本人の天皇への親和性を認識し、「天皇制の打倒」に否定的な見解を持っていたのだが、このことが従来日本との縁が薄かった毛沢東の、対日・対天皇理解に大きな影響を及ぼしたとみられることは極めて興味深い。やがて毛が日本の訪中団に「天皇陛下によろしく」と語って日本側を仰天させる未来の種も、このとき蒔かれていた。
著者は時事通信社の中国特派員を経て研究者に転身し、現在は北海道大学大学院教授として教鞭を執る。本書は精緻な取材にもとづくジャーナリズム的アプローチと、膨大な史資料を渉猟したうえでのアカデミックな考証の両立に成功した、稀有な一冊ではあるまいか。
しろやまひでみ/1969年生まれ。時事通信社中国総局特派員などを経て、現在は北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授。『中国 消し去られた記録』等著書多数。
やすだみねとし/1982年、滋賀県生まれ。中国ルポライター。『八九六四』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、著書多数。