精神と感情を絵に叩きつけた
絵画に「明るさ」を求めるようになったゴッホは、陽光きらめく南仏アルルに移って制作しようと決めた。思い描いた通りの光が射す風土に身を置き、自身の表現したいものが明確になってきたこともあってか、画面にはゴッホの代名詞とも言えるあの強烈な色彩が溢れ出してきた。《糸杉に囲まれた果樹園》《レモンの籠と瓶》《種まく人》《黄色い家(通り)》などから、ゴッホの充実ぶりが垣間見れるだろう。
明確になってきた「ゴッホの表現したかったもの」とは何だったか? あらゆる人や自然が内に秘める精神性と、その表出たる感情だ。ゴッホはそれを「色」で表現し尽くせないかと考えた。色だけで情念を、人間そのものを、さらには自然全体を表すことに全身全霊を賭けたのである。
そんな野心を突き詰め過ぎた面もあったろうか、やがてゴッホは精神のバランスを崩すようになり、みずから療養院へ入ることとなる。院を出ても不安定な精神状態は続き、自身の胸をピストルで撃って命を落とすに至った。1890年、37歳のときのことだった。
時代を超えて人の心を捉えて止まない
最晩年、自分の身を削りながら描いた作品にあたるのが、《サン=レミの療養院の庭》《悲しむ老人(「永遠の門にて」)》《夜のプロヴァンスの田舎道》だ。
もののかたちが歪み、極端な色調を帯びたこれらの光景は、当時のゴッホの精神状態をよく反映しているのだろう。
生きた痕跡をそのまま画面に叩きつけ、定着させたもの。それがゴッホにとっての絵画だったのだなと得心する。彼が胸に宿した感情は、一枚ずつの絵を通して観る側にまっすぐ伝わってくる。だからこそゴッホ作品は、時代を超えてこれほど人の心を捉えて止まない。そうした仕組みがスッと呑み込めて理解できる好展示だ。