眞子さまの結婚から国民の象徴天皇観は分断
また、眞子内親王と小室圭さんが二人の思いを貫こうとしたことも大きな問題となったと思われる。その姿は「私」を重視するように見えた。一方、平成の後半では天皇・皇后を中心に皇族が積極的に被災地訪問を繰り返す姿は、「私」よりも「公」を重要視する姿勢と受け止められ、それが人々の尊敬・好感の感情へと繋がった。そうしたいわゆる「平成流」の姿と眞子内親王の姿は対比的に見えた。つまり、保守派からの批判だけではなく、「平成流」を高く評価する層からも眞子内親王の姿勢への疑義が見られるようになったのである。
しかし、複雑性PTSDについて宮内庁が発表した後、やや世論の風向きは変化してきたようにも思われる。賛成の声もマスメディアでは取りあげられるようになり、「読売新聞」の世論調査では結婚をよかったと「思う」は53%と半数を超え、「思わない」は33%であり、眞子内親王の同年代が含まれる18~39歳では「思う」が59%という状況となった。多くの人々が尊敬・共感していた「代替わり」時とは異なり、眞子内親王の結婚から国民の象徴天皇観は分断している。これをどう元のように戻すのか。今後の皇室にとって大きな課題とも言える。
その一つの答えが、結婚は認めつつ、納采の儀などは行わないという方向性だろう。反対する人々に対して、皇室として一つのけじめを見せたと言えるだろうか。しかしこれは、後に続く結婚などに与える影響も大きい。皇族の意思と国民の感情をどう調和させていくのか。皇室が今後考えなければならない問題である。一方で私たちも、意思を持つ皇族という存在を受け止める必要がある。そしてそれは、象徴天皇制をこれからどういう形にしていくのかという、日本社会にとって大きな問題を考えることでもある。今回の眞子内親王の結婚の問題を契機にして、象徴天皇制に向き合うことが私たちに求められている。
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