私は今健康体なので、世の中でいう普通の枠組みで、下駄を履いている状態で生活をしていると思っています。でも、いろんな例を見た時に、いつ自分が病気になるか分からないし、何かのきっかけで自分が普通の枠から外れてしまった時に、生きられないと辛い。
病気や障害を抱えて、いわゆる「普通」でいられない理由がある人が、あまり心配なく過ごせる社会は、結局皆が生きやすい社会だと思います。社会変わっといてくれよって気持ちはありますね。
あとは私、感動ポルノが苦手なので、多分それが出ているのかな。
「分かるよ」というレッテル貼り
――確かに。登場人物の動きに関しても、医療モノの漫画は、読み手の感動を優先して、現実にはあり得ない行動を取ってしまうものが圧倒的に多いと思うのですが、「ビターエンドロール」は、あくまで診療報酬の範囲内で登場人物が動いていて、決して出しゃばらないところが印象的でした。
佐倉 フィクションを作る、物語を作るって、物語を消費することにも近いと思います。
どれだけ物語を気持ちよく消費するかを考えたら、それこそ感動ポルノ的なものに近付けていった方が、「ああなんていい話なんだ、感動した」で終われると思うんですけれど、でもそれが嫌なんです。
――その「嫌」の根源は何なんでしょう。
佐倉 例えばプライベートで誰かと喋ってて、なんか、「あっ分かるよ君ってそういう人だからね」みたいなこと言われた時、めっちゃ腹立つんですよね。
「あー分かる、分かるよ」って、簡単にそう言うのは、ある意味、それ以上分かろうとはしていないってことだと思います。簡単に「分かる」って思うためには、例えば「アルコール依存症ってこうですよね」とレッテル貼りをすることになると思うので。
でもそうすると、個人の細かいことを置き去りにして「病気」という箱に仕舞ってしまう。たくさん置きざりにしたものがあるのに、「ああ、こういうことなんだ、めでたしめでたし」とされると、それが腹立つのかな。