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「僕は今回『これが僕の知っている世の中だ』『君たちが出ていく世の中だ』と思ってこの映画を作ったんです。僕はウソをついて、きれい事を言って、今ここにある世界をその友人の娘たちに見せたいとは思わなかったんです。たとえば、スタッフに舞台になる湯屋はジブリと同じだって説明したんですよ」(『千尋と不思議の町 千と千尋の神隠し徹底攻略ガイド』角川書店)

「現実を皮肉るためとか、風刺するためにこの作品を作ったわけじゃないですよ。例えばスタジオジブリで10歳の少女が働かなければならなくなったとします。それは親切な人もいじわるな人も含めて、カエルの大群の中に入ったようなものなのです。これはそういう映画なんです」(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』徳間書店)

 発言をまとめると、宮崎監督は、きれいごとだけでは済まないこの世界を端的に描く場所として歓楽街=娼館を選んだことがうかがえる。さらに湯屋は“苦界”という側面より、ワンマンオーナー率いる中小企業という側面が強調されている。

 

湯婆婆は「まあジブリで言うと、プロデューサーの鈴木さんがぴったりか…」

「(湯婆婆は)本当は悪役という訳じゃなくて、経営は大変だし、子育ての悩みも抱えているし、自分の欲望もあって、そういうものに苦しめられる、そういうお婆ちゃんなんです。まあジブリで言うと、プロデューサーの鈴木さんがぴったりかどうかね。僕のほうが顔がでかいですから『おまえに似ている』という話もあるんですけど、そういうことで世界を組み立てたんで」(『千と千尋の神隠し 千尋の大冒険』ふゅーじょんぷろだくと)

 

「僕らの日常ってカエルやナメクジみたいなもんじゃないかと思っているんです。自分も含めて難しいことを言ってるカエルのようなものだと思っていますから」(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』)

 つまり湯屋とは、世の中にある様々な「欲望」と「労働」を象徴する結節点なのである。そして千尋は、千としてそこに放り込まれてしまったのだ。そしてたまさか千は、その世界に取り込まれることなく、ハクとカオナシを救い出し、かけがえのない体験をすることになる。

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 ここで問題になるのは千尋は、その体験を通じて成長したのかどうか、という点だ。