なぜトンネルの演出は作品にとって「要」なのか
帰りのトンネルの場面と湯屋での出来事が直結していると感じさせない演出が、どうして『千と千尋』の要なのか。そのためにはまず、本作が湯屋という場所を通じて何を描こうとしていたかを探る必要がある。
神々が訪れる湯屋の原点は、『もののけ姫』の制作過程を追ったドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた。』の中の1シーンに遡ることができる。
1996年6月6日、『もののけ姫』制作中のスタジオジブリで行われた企画検討会でのことだ。企画検討会では、死神が登場するある少女漫画が映画になるか、というテーマでディスカッションが行われている。そこで死後の世界の様子をアレコレ話すうちに、宮崎監督が次のようなことを話し出すのだ。
「(死後の世界の住人が住むのは)つまんない木賃アパートなんです。これが。窓の外はね、ネオンがきらきら光ってるから、寝てってもうるさいんです。(略)ヴァルハラってのはさ、そこに酒が流れていて、美女がいっぱいいて。おっさんたちが遊んでるんでしょ。要するにこれは歓楽街でしょ」
「あの世はこの世とまったく同じっていう…。『まあうっとうしい』って言いながら、『今日も行かなきゃいけないわ』っていうんで、この子は出勤していくと。そうすると、タイムカードがあってですね」(『「もののけ姫」はこうして生まれた。』徳間書店、浦谷年良著)
宮崎監督が語っているのは「死後の世界」について膨らませたイメージだが、「人間でないものが通う歓楽街」「そこには人間世界と同じように労働者が働いている」という点で湯屋との共通点は明確だ。
湯屋が、遊女の別名の一つである湯女(ゆな)の働く一種の娼館となったのもこの“歓楽街”の延長線上に具体化したものだろう。さらに、タイムカードではないものの、本編には湯屋の従業員が出勤すると名札をひっくり返す描写も出てくる。
「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば…」
公開当時、宮崎監督は湯屋について次のように語っている。
「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」(「PREMIERE日本版」2001年9月号)