『リバタリアンが社会実験してみた町の話 自由至上主義者のユートピアは実現できたのか』(マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング 著/上京恵 訳)原書房

 奇書、といっていいだろう。

 本書の主役は、個人の自由を極限まで追求し、徴税や徴兵など国家による介入を拒否するリバタリアンだ。しかし、この本には別の主役も出てくる。それは熊だ。

 舞台はアメリカ北東部ニューハンプシャー州のグラフトンという小さな町で、深い森に囲まれている。この州の標語は「自由に生きるか、さもなくば死を」で、開拓時代の独立自尊の価値観をいまも受け継いでいる。だからこそ「自由」に憧れるリバタリアンがこの町に移住し、理想のコミュニティ(フリータウン)をつくろうとした。ところが彼らは、野生の熊と遭遇することになる。

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 リバタリアンは、私的所有権を絶対のものと見なす。自分の土地でなにをしようと自由で、国家や行政があれこれ口出しし、私権を制限することは許されない。

 そうなると、敷地内にやってきた熊にドーナッツを与えて餌付けするのも住人の権利になる。生ゴミを庭に放置して実質的に餌付けしても、行政がそれをやめさせることはできない。こうして通年で食料を確保できるようになった熊は、冬眠をしなくなるという。

 だがその一方で、人間を恐れなくなった熊は家畜やペットを襲うようになる。さらには、キッチンまで入り込んだ熊によって女性が大怪我をする事件が起きた。

 するとリバタリアンは、行政を頼らず、「自警団」をつくって熊から自分たちの財産を守ろうとした。

 州法では、野生の熊を撃てるのは狩猟シーズンに許可を得たハンターだけだが、私有地にいる熊を、住人の許可を得て「駆除」するのは個人の権利だとリバタリアンは考える。そればかりか、熊の被害が相次ぐと、季節にかかわりなく森に銃声が響く。こうした違法な“熊殺し”は暗黙の了解で、町のひとたちは誰も口にしようとはしない。

 グラフトンではなぜ、なにもかも自分たちでやらなくてはならないか。それは、町役場が住民から税を徴収できず、基本的な公共サービスすら維持困難になっているからだ。

 とはいえこれは、「個人主義が古きよきコミュニティを破壊した」というありがちな話ではない。住民たちが消防署への予算を出し渋り、消防士が誰もいなくなったとき、ボランティアとして名乗りをあげたのは、この町に移住してきたリバタリアンだったのだ。

「独立自尊」の由緒ある町は、1世紀以上も前から、住民たちがそれを名目に税を払おうとせず、立ち行かなくなっていた。その結果、規制のない(できない)町に奇人変人が集まってきたのだ。

 こうして、リバタリアンの高邁な理想(空理空論)が熊によって翻弄される現代の寓話が誕生した。それは同時に、生きづらさを抱えて辺境に流れ着いたさまざまな人生の物語でもある。

 本書に出てくるエピソードの多くは滑稽だが、このような「社会実験」を大真面目にできるアメリカという国の魅力を、読者は再発見できるのではないだろうか。

Matthew Hongoltz-Hetling/調査報道を専門とするフリージャーナリスト。日刊の地方紙『バレー・ニューズ』元記者。ポピュラーサイエンス、フォーリンポリシー、USAトゥデイ、AP通信などに寄稿。
 

たちばなあきら/1959年生まれ。作家。近著に『無理ゲー社会』『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』など。

リバタリアンが社会実験してみた町の話:自由至上主義者のユートピアは実現できたのか

マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング ,上京 恵

原書房

2022年2月22日 発売