と思ったが、正解はまったく違う。そもそも、聖蹟桜ヶ丘駅の名前は桜ヶ丘住宅地よりもはるか前、1937年から使われている。駅の開業は1925年で、その12年後に改名して今の名になった。つまり、住宅地の桜ヶ丘のほうが駅名に倣ったということになる。なんでも、このあたりが桜の名所だったことが由来だという。
これにて“桜ヶ丘”のナゾに答えは出た。残るは“聖蹟”だ。こちらは駅から桜ヶ丘の住宅地よりももっと離れたところに由来がある。
桜ヶ丘住宅地の高台からさらに東、乞田川の刻む谷を挟んだ連光寺と呼ばれる一帯。明治時代、たびたびこの地に明治天皇が行幸し、うさぎ狩りなどを楽しんだという。
天皇が行幸した土地は、“聖蹟”と呼ばれる。昭和に入ると明治天皇がしばしば訪れた地として注目されるようになり、1930年に多摩聖蹟記念館(現在の旧多摩聖蹟記念館)が開館。一帯を行楽地にしようと目論んでいた京王さんも資金を出したという。そして1937年、すでに近隣にあった関戸駅を聖蹟桜ヶ丘駅に改称したのであった。
と、つまりキラキラでもなんでもなく、むしろそんなことを言ったのが申し訳なくなるほどに由緒ある駅名の“聖蹟桜ヶ丘”なのだ。
町のルーツは駅の北側に…
といっても、聖蹟記念館は駅からはだいぶ遠く、関戸駅として開業した当時や駅名を改めた頃の駅の周りはほとんど何もなかった。まだまだ郊外の住宅地化の波もこのあたりまでは来ていなかった。
聖蹟桜ヶ丘駅がある多摩市が誕生したのも戦後、1971年だからだいぶあとのこと。少なくとも、桜ヶ丘住宅地が開かれるまで、聖蹟桜ヶ丘駅周辺は多摩川沿いのまったく何もない低地に過ぎなかったのである。
むしろ、この一帯では桜ヶ丘といった丘の上、つまり耳すま聖地サイドではなく駅の北側の多摩川沿いに古くからの町のルーツがあった。駅を出て北側に向かって宮下通りと名付けられた道を西に向かって歩いてゆくと、小野神社という立派な神社がある(桜ヶ丘に宮下通りというとまるで渋谷だが、憧れがあったのだろうか)。
この神社は武蔵国一宮。武州六大明神のひとつで、少なくとも奈良時代からあった古刹だ。それに由来して、神社一帯の地名は「一ノ宮」という。多摩川を船で渡る“一ノ宮の渡し”もあったという。そういうわけで、小野神社周辺の一帯が聖蹟桜ヶ丘駅一帯ではいちばん古い町。
そのためか、路地が入り組む町には古い一戸建て住宅や単身者向けのアパート、そしてファミリー向けのマンションもあったりして、あれこれ雑多な住宅街になっている。戦後ニュータウンとして開発されたそれとは明らかに違う、古い時代からの住宅地の趣だ。聖蹟桜ヶ丘駅に訪れて耳すま聖地巡礼もいいけれど、ついでにこちらの方にも足を運んで小野神社にお参りくらいはしておいたほうがいいのかもしれない。