この古い町と聖蹟桜ヶ丘駅を中心に市街地が形成されていき、1980年代後半に聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターが完成。さらに1988年には京王さんの本社が新宿三丁目から移ってきて、京王さんの城としての聖蹟桜ヶ丘駅が完成したのである。
東京郊外の“らしさ”が詰まった町
小野神社の脇を抜けて多摩川沿いに出て、土手を歩いて聖蹟桜ヶ丘駅に向かって歩いて戻る。土手からも“京王さんの城”を感じさせる京王百貨店のマークと「京王聖蹟桜ヶ丘S・C」の文字が見える。
そして京王線が多摩川を渡ってすぐのところでタワーマンションが建設中。多摩川の川っぺりのタワマンとなると武蔵小杉を思い出すが、聖蹟桜ヶ丘だって利便性では負けていない。もしかすると、これからタワマンがにょきにょき生えて、桜ヶ丘の高台からの眺望も変わっていくのだろうか。
聖蹟桜ヶ丘駅に戻ってきた。この駅はとにかく京王のお膝元だけあって、京王関係の商業施設で囲われている。だからそこにばかり目がいってしまうのだが、少し離れたところを歩くと心地よさそうな住宅地もあるし、オジさん向けのお店が並ぶ一角もあるし、クルマが盛んに走る川崎街道沿いもまた都会的な空気感。このあらゆるものがコンパクトにまとまっているのが、東京郊外の“らしさ”のひとつといっていい。
そして、耳すまの世界観に合わせたのかどうなのか、ところどころになんとなく芸術的なオブジェがあったりもする。耳すま的世界もやっぱりあるし、変わりゆく東京郊外らしさもあるし、京王沿線らしい雰囲気もある。高台の上の住宅地も京王さんが切り開いたものだ。
ちなみに、京王さんは開業以来沿線の行楽地化に取り組んでいて、高尾山や京王百草園などもそのひとつ。そして聖蹟桜ヶ丘にも聖蹟記念館を中心としたレジャー開発を考えていたのだとか。ただ、これは戦前ならではの事情も絡んで断念されて、いまは住宅地になった。そういった歴史の妙も、いまの聖蹟桜ヶ丘駅を形作っている。
そんなわけで、結局京王尽くし+ちょっと耳すまで聖蹟桜ヶ丘の旅を終えた。駅前のドトールコーヒーでひと休みしてから帰路につく。
京王線の新宿行き特急は、聖蹟桜ヶ丘駅を出て多摩川を渡ると、ひと駅飛ばして分倍河原、府中と立て続けに停まる。その先には調布駅も待つ。首都圏の私鉄の中ではどちらかというと地味な扱いだが、調布・府中・聖蹟桜ヶ丘と、多摩地域に大きな町をいくつも抱えているというのはなかなかやるなあと、改めて見直したのである。それに、日本ダービーの舞台・東京競馬場もありますからね……。
写真=鼠入昌史
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